いつか愛せる

DVのその後のことなど

名前に違和感

 この地域は犬を飼っている人が多いのか、通勤の行き帰りによく飼い犬に出会う。

ある朝、駅に向かって歩いていると、路地から走り出てきたのはスラリとした黒っぽい影。プードルだ! 昔からよく見るトイプードルでなく、背の高いスタンダードプードル。青味がかった濃いグレーで、綺麗にトリミングされている。

 それを追いかけて出てきたのは、ステテコ姿のお爺ちゃん。

「これ、クロ! こっちへ来い!!」

え? このプードルの名前がクロ?? 濃いブルーグレーだと思うんだけど。黒ですか。そうですか。わかりやすいもんね。

 純和風なお爺ちゃんとの違和感も半端ないけど、可愛がられているならそれで良し。

 

 別のある日。駅から家に向かって歩いていると、私の前に犬の散歩をさせている女性がいた。小柄でずんぐりしていて、短い足でお尻をふり気味に歩く犬。耳はきちんと立っている。あ、フレンチブルドックだ! 昔、夫の実家で買っていたボスと同じ犬種。

後ろ姿しか見えないけど、毛色は真っ黒。よちよちした歩き方がかわいい。

飼い主の女性がしきりに話しかけていた。

「バ~ニラ💕 ○○ちゃん家に行こうね、バニラ💖」

 

バニラ?・・・真っ黒だけど、その子はバニラちゃんですか。

もしかしてその子は、甘い香りがするんですか? それともバニラビーンズの色ですか?

黒い犬にバニラと名付ける理由を誰か教えてください・・・

 

間に合わなかった

 今日は義母の命日。早いなあ。義父より7歳年下なのに先に逝ってしまってもう4年。

義母はそのころ、末期の人が多く入院する病院にいた。それでも一時は回復が期待され、私たちは義父が入居していた施設に一緒に入れないか検討していた。でも再び悪化した。

 幸いそのころ夫の体調は少し安定して、何かあればすぐ病院にかけつけられた。例えば、たまたま病院からの電話に気付かず、かけ直した際にはもう業務時間を過ぎてつながらない。そんな時も私たちはタクシーで飛んで行った。電話は単なる業務連絡だったことが判明し無駄足だったが、少し面会させてもらって帰宅した。

 

 ある休日の早朝、病院から電話があった。朝の6時ごろだったろうか。義母の容体が悪いから来てほしいとのこと。ふたりとも眠い頭にムチ打って起きた。

夫は「泊まり込みになるかも知れないから」と急いでお風呂に入った。私には「付き合わなくていい」と言うものの、私もあわててお風呂をすませ、携帯食など準備して家を出た。

 

 ところがこの判断は誤りだった。病院に着いたのは8時ごろだったと思う。

病室に入り義母に声をかけるが反応しない。首にさわってみると脈はある。何度も声をかけた。

看護師さんが入ってきて義母の頬を軽く叩きながら耳元で大きな声で呼んだが、それでも反応しない。間に合わなかった?!

 でも脈はあることにすがるような気持ちになる。私は「返事できなくても声は聞こえてるかも知れないよ」と何度も声をかけた。でもやがて脈もわからなくなった。

・・・逝ってしまった。医師が来て臨終を告げられた。

           

 夫が気付いた。義母の顔は、というより目は、病室の入り口の方を向いていた。看護師さんが「ご家族がもうすぐ来ますからね」と言ってくれていたらしい。

義母は私たちを待ってくれていたのに、間に合わなかった。最後の言葉を聞けなかった。夫はそのことを、後になってからひどく悔やんだ。

いつもすぐに駆けつけていたのに、どうして最後だけそうしなかったのか。長時間付き添うことを想定して余計な準備をしてしまった。

 

 優先順位を間違えないことはとても難しい。

そしてああいった病院の人は、患者の最後の時をかなり正確に読めるようだということもわかった。

 

 ただ、聞き損ねた義母の最後の言葉は想像がつく。夫と私に「幸せになって」と思ってくれていたに違いない。あるいはそこに追加として「お父さんをよろしく」だったかも知れない。

そうわかることはありがたいなと思う。

 今日は黄色のスプレーマムとピンクのガーベラを飾って、義母が好きだったお寿司を食べた。天国の義父母に「私たちはまあまあ幸せですよ」という思いを送ろう。

 

テレワーク・ランチ・ウェルビーイング

 職場で2ヶ月に一度、ウェルビーイングのミーティングがある。今回はランチミーティングだった。出席者10名のうち当日2名が出社で8名がテレワーク。ひとり2500円まで会社負担の予算でそれぞれ昼食を準備。ありがたい職場だなあ。

 うれしくなって宅配お弁当を探す。うなぎ?お寿司? ウキウキ「釜寅」のチラシを見て気付いた。2500円だとうなぎやお寿司は単品でしか食べられないのだ。久しく贅沢してないから外食の金額を忘れた。

計画変更してお手頃な「ごろごろ野菜とチーズの釜飯」お茶漬け用のお出汁もついてくる。

サイドメニューに「海鮮茶碗蒸し」「竜田揚げ」 あと、別腹用の「わらびもち」

           

 全部は食べきれないから、竜田揚げは少食な夫の昼食に横流しする計画。

丁寧な配達員さんが時間通りに届けてくれて、おまけと回収用の袋もついてきた。満足。

 

 今回のランチミーティングのテーマは「100日プロジェクトの感想と表彰」

各自が業務とは無関係なテーマを決めて100日間継続してきた。毎日チャットで経過報告したり励ましあったり。

 私が何をテーマにしたかと言うと、ストレッチで腰痛改善すること。ほぼ毎日やれた。経過報告のプレッシャーのおかげ。そして腰痛は消えている!! 100日過ぎても続けよう

 そんなことを発表し、あとは釜飯もぐもぐ食べながら画面越しにみんなの発表を聞いて拍手するだけ。いいミーティングだった。

このプロジェクトのおかげでメンバーのプライベートな顔も垣間見れて楽しかった。

突発的な通院

 介護あるあるのひとつだと思う、突発的に具合が悪くなること。ある日曜日の夜、義母から義父の具合が悪いと電話があった。まだコロナ過になる前で、例年通りそろそろ風邪が流行ってきた時期だった。

「39度以上も熱があるの」という。

 

 その時期も夫は原因不明の不具合で外出できなかったから、私が行くしかない。なぜかこういう事態は日曜日が多いなあと思いながら、その日の睡眠不足を覚悟した。

 義実家まで自転車で行ったかタクシーを使ったか思い出せないが、とにかく義父をタクシーに乗せる。すっかり常連になったタクシー会社のオペレーターには名前を覚えられていた。

義父の体にふれてもそこまでの高熱があるようには思えなかったが、ぼんやりとなった義父と緊急外来へ。

 義母には「玄関の鍵はしめて休んでいてくださいね」と伝える。私は合鍵をもっているし、義母とノンちゃんだけの留守番は不安だろう。義母は夜ひとりになったことがほとんどなく、ドロボーや強盗を人一倍怖がる人だ。

そして、義父は元々は頼もしい人だった。剣道や居合切りを嗜んでいたから、もし強盗が来れば竹刀か日本刀を持ち出し対戦してくれたろう。こんな状態でも、きっと義父の存在には頼っていたと思う。

 

 義父に「どこが一番つらいですか?」と聞くと「のどが痛い」という。その通り病院に伝え、熱を測ると37度台だった。移動中に熱が下がったのか、家で測った際に義母が見間違えたのかはわからない。

「点滴2種類で2時間くらいかかるけれどどうしますか」と聞かれた。すでに夜の10時を過ぎていたが、もちろん「お願いします」

 緊急外来の広いスペースで義父が点滴している間、私は義父の前に座って待った。時々夜勤の看護師さんが通り過ぎるだけで静かだ。心配した夫から電話が入り、義父の無事と私の体力のために祈ってくれているという。

熱は37度台だし、点滴して帰るから心配ないと伝える。病院内で電話しているのも気が引けた。夫からその旨を義母に連絡してくれた。

私は相当疲れていたはずだが、夫の祈りのおかげか意外に元気でいられた。

 

 点滴が終わると、できれば翌日、無理でも2~3日中に再診に来るよう言われた。大きい病院なので、朝から付き添っても薬をもらって会計するのは午後になるだろう。会社はまた休むしかない。こういう機会が多いので、働きながらの介護はかなり厳しい。

 またタクシーを呼び、義実家についた時には夜中の1時をまわっていた。やはり義母は起きて鍵もかけずに待っていた。義父はすぐに布団に入る。義母に飲み薬の説明をし、もう一度私が通院に付き添うことを伝えて、私も帰宅できた。

 

 ところで。

義父が愛用した竹刀や日本刀(真剣)は、後に義実家を引き払った時にほとんど手放したけれど、実は日本刀を1本だけ残してある。

所持するための許可証を見つけられなかったのと、義父の存命中は残しておいてあげたかったから。施設に入居したときも、一度は見せに持って行こうと思っていた。(ところがああいう場所は、当然ながら刀など持ち込み禁止)

 手入れの仕方がわからなくて申し訳ないけれど、その真剣は今は我が家を守って(?)くれている。

加害者(←この言い方は嫌いだけど)との対話を求めること

 小松原織香さんの著書「当事者は嘘をつく」の中に、「なぜ、被害者が加害者に会おうとするのか」という表記が出てくる。私も考えてみた。

(※小松原さんは19歳の時に性暴力の被害を経験された修復的司法の研究者)

私がご本人あてに送った感想はこちら↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2022/10/03/090000

 

 私の場合はDVで相手は夫、しかも離婚しなかったので会うまでもなく同居。さらに私は過去にDV当事者が集まるサイトを運営したため、夫以外の自称バタラーさんたちとも交流できた。これら特殊事情のおかげで、望まずとも加害者(←この言い方は嫌いだけど)と話せた。

 でも多くの場合、相手に会うことは無い。会えば再び被害にあう可能性があり、そうでなくてもメンタル的に危険なので周囲に反対される。

相手の顔も見たくない人もいる。一方で会いたがる人は確実にいる。もし私が会えない状況だったら? やはり会って話したいと思う。その理由を考える。

 

 私はなぜ自分がこんな目にあったのか知りたかった。どんな理由があっても暴力を肯定はしないけれど、理由が無ければなおさら受け入れられない。更にこのアクシデントは避けられなかったのか。避ける方法があったなら知っておきたい。

 あるいは原因となる理由が無いなら、意味を知りたい。この大きなマイナスによって、私の人生に何がもたらされるのか。何かの罰か? 人生を深く考えるため? 誰かの役に立つため? とにかく少しでもいいから理解したい。

 事件や事故の被害者やその遺族が、経緯や理由を明確に知りたがることと似ている気がする。取り返しはつかないし納得もできない。それでも知りたい。

相手は最大の証人であり犯人であり謎を握る、自分が知りたいことを引き出せる可能性を持っている人物。だから会いたい。

 

「当事者は嘘をつく」によると、そういう被害当事者の思いを支援者は「回復の言説に回収する」という。回復の言説に回収とは難しい表現だし、私は支援者との関わりは少なかったのでわかりにくい。

それでも「あなたはまだ回復していないからそう考えるのよ」と言われたようで、自分のことではないのにイラッとする。

 

 だから、現実に私がいわゆる加害者と話すことで何を得られたか書ければ、修復的司法の後押しになるかも知れない。実体験は何よりも強いはずだから。

が、何日もこの画面をにらんだのに脱線ばかりでまとまらない。これが素人の悲しさか。

ほんのちょっとだけ、頭に浮かんだことをメモがわりに残す。↓

 

 掲示板を訪れる被害当事者の中には、加害当事者の男性と話したくて来た人も居た。自分の相手でなくとも、同じ立場の人に聞きたいことがあるからだった。

きっと私と似たような理由。自分に重大な欠陥があって暴力を誘発させたのでないなら、自分に起きたことの意味や理由を知りたかった。

 私は被害者でなくなり始めた20年ほど前に気付いた。被害者も加害者も人間だ、と。加害者は言葉が通じないように見えてもモンスターではない。もちろん被害者は捕食されるための存在ではない。それぞれ別の問題を抱えてしまった人間にすぎない。

それから私は徐々に被害者・加害者という言葉を使いたくなくなった。

 

まだこれだけ。いつかもう少しまともに書けたらと思う。

 多分こういうことを学術的に書かれている小松原さんの著書が「性暴力と修復的司法」だと思う。

私も関心はあるけれど、高価なことと、おそらく専門家向けで難しそうで手を出せない。

 

ベルサイユのばら_エピソード編感想④

 感想の4回目はマリーアントワネットとブレゲの時計について。私は舶来時計に関心がないので名前も知らなかったが、調べてみた。

天才時計技師のブレゲは実在し、同時代を生きたマリーアントワネットが革命前から彼の時計を愛用していたのも史実。

そしてマリーアントワネットの名を冠した伝説の時計も現存している。ネジを巻かなくても永遠の時を刻み続ける最高の機能を備えた時計。

ただ漫画の中のようにアントワネットが直接発注したのではないらしい。仲介者だったのか、あるいはアントワネットの気を引こうとする者が発注したのか不明。ここまでが現実の話。

               

 ベルばら本編にはこの時計は登場せず、エピソード編で初めて知った。

裁判が終わればギロチンにかかるとわかっているアントワネットが、牢獄への差し入れとして希望したのが、下着と小物入れとブレゲの時計。

アントワネットは時計を手にして「 優しい音」と喜び、コチコチコチ···という音に耳を当てて「最後の時間をどれほど慰めてくれたことか」と言う。

 一読した時の私は「その感覚がわからん!」と思った。優しい音だと感じるのは好みの問題なのでいい。でも時計に慰められる感覚がピンと来ず、考えてみる。

 

 アントワネットは自分の寿命が残り少ないのを知っている。夫のルイ16世はすでにギロチンにかかっており、息子ルイ·シャルルは連れ去られた。(娘のマリーテレーズがこの時どうしていたかは描かれていない)

愛するフェルゼンにも二度と会えない覚悟をしている。ただ「歴史という偉大な裁判官にこたえるため」立派に死のうと思う。そんな孤独な境遇で時計に慰められる理由を想像する。

 

 まずその時点で、時計が孤独な自分とともに生きてくれる唯一の物だった。それに自分が眠っている間さえ休むことなく動いてくれる点は、まるで神様のようではないか。

そして時計は、自分の死後も動き続けるもの。アントワネットがブレゲに発注した永遠を刻む時計は、その時点では完成していないが。それでも。自分の名が歴史に残ることを、時計が動き続ける姿に重ねたのだと思う。

 誇り高く死に向かう自分を知り、自分の死後も生き続ける時計。だからその存在に安らぐのではないか。そしてそれは当時の頼りない品質の時計でなく、天才技師ブレゲの造る時計でなければならなかった。

きっとそんな感じだ、と一応納得した。

 

 ベルばらの外伝「黒衣の伯爵夫人」にもチラッと時計技師が登場する。美しく人間そっくりで、歩くことも出来る人形を造ったのが、高名な時計技師。

当時の技術への関心の高さゆえか。それとも池田理代子先生は時計好きなのかな?

 

 ところで。私が昔見た宝塚のベルばらpart3(フェルゼン:鳳蘭、アントワネット:初風淳)は、舞台ゆえ更にドラマチックだった。

ブレゲの時計と過ごしたであろう時期の、アントワネットのセリフ「私に残された仕事はただ立派に死ぬこと···死ぬことだけね」

 ところが、そこにアントワネットを逃亡させようと再び危険を冒して現れるのが、なんとフェルゼン(原作ではジャルジェ将軍=オスカルの父)

アントワネットはそれを断り、スポットライトの中、断頭台の階段を一歩一歩登ってゆく。

そしてフェルゼンの絶叫!!··· というエンディングだった。

 

 あ、思い出した。フェルゼンはアントワネットが子どものころ大切にしたステファンというお人形を手にして「王妃様ーーー!!!」と絶叫していた。

今となっては何だか突っ込みたくなるけれど、でも当時は大いに涙したっけ。

ヘルパーさんへのお年賀

 日本の悩ましい慣習のひとつ「付け届け」。病院では禁止でも守られていなかったけれど、ヘルパーさんにはどうすればいいか。もちろん本当は不要だと思う。でもお世話になっている気持ちを表したいとき、特に年配者は物をあげたくなるらしい。

 

 年末の慌ただしい休日、私は買物をすませて自転車で自宅に向かっていた。そこに義母から電話がかかってくる。「緊急事態か?」と気になって出ると。

「お父さんが、ヘルパーさんにお年賀を買うって自転車で出かけようとするの」

義父が段々外に出なくなっていたころだった。義母の心配は自転車で混んだ場所に行って転ぶこと。もうひとつが糖尿病なのに買い食いされることだったと思う。本人の前だからはっきりは言わなかったけれど。

「じゃあ私が買いますから、お父さんに電話をかわってください」

義父に「どんな物にしますか」と聞くと「タオルか何かで・・・」と歯切れが悪い。買物好きな義父は本当は自分で行きたいんだろうな。

 私は帰る途中ですでに荷物も多い。面倒でため息が出た。でも当時は体力があったので雄々しくお年賀のゲットに戻る。

量販店にお年賀用のタオルがあるはずだが、年末なのですでに売り切れだった。仕方ないので大手スーパーのご進物売り場へ。

夫の実家に来るヘルパーさんは全部で10人位。予備を含めて12名分。五百円程度のおしゃれなチョコを買うと、立て替えた私の財布が空になった。(タオルの方が安かったのに)

 

 ヘルパーさんは年末年始も休めない。そこは医療従事者と同じハードな環境。大変だと思い義母は「元旦だけは休んでください」と断った。私たちも居たし1日くらいは問題なかった。

お年賀は会う機会にひとりひとり義父から渡したらしく、もちろん全員受け取ってくれた。

 

 1年目がそんなだったので、2年目は早めにお年賀の用意を考えた。そのころにはもう義父はまったく自ら外には出なくなっていた。

「ヘルパーさんへのお年賀どうしますか?」

「ああ、何かあげなきゃね」

ならば私の目標は ①節約すること ②ヘルパーさんに喜んで受け取ってもらえること

               

           

 量販店でかわいいラッピング袋と、大袋のチョコ、クッキー、ラムネ菓子etc. なるべく売れ線のお菓子を買い込んだ。年末は12名分に分けて袋詰めして「thank you」のシール貼り作業。ラッピングしたお菓子の詰め合わせを段ボール箱に入れて実家に持って行き準備完了。

前年の半分くらいの予算でできた。それにこういう普通のお菓子の方が受け取りやすいのではないか。お子さんがいるなら持ち帰ってくれてもいいし、移動の合間にでもちょっと摘んでもらえたらいいなと思う。

 

 この年はヘルパーさんのローテーションが変わったのか、12名分作ったらかなり余ってしまった。もちろん喜んで私が引き取った。