いつか愛せる

DVのその後のことなど

感情のふたが開いたとき

 暴力の中では感情を殺していた。心のダメージを回避したくて「考えちゃ駄目だ」と思ったら自然にそうなった。嫌な感情だけを回避するのは無理で、当時の同僚には「笑わない人」だと言われた。感情を押さえると自我も失うらしく、挙動不審なロボットのようだった。今は失ったものを取り戻して普通に暮らしているのが奇跡に思える。

 夫(暴力)だけを注視していた意識を自分を知ることに向けると、まもなく私に変化が起きた。長いこと閉じ込めていた感情のふたが開き、びっくり箱のように本人の都合にお構いなく飛び出した。怒り、憤り、恨み、屈辱、嫌悪、失望、自責、軽蔑・・・今度は洪水のような感情を持て余し、自分にこんな強く汚い感情があることに驚いた。あんな目にあわなければ私は普通の善良な人間でいられたのに。そんな思いがまた新たな恨みを呼んだ。

 2002年に出版した「いつか愛せる」の下書は、感情を吐き出すために書いたものだった。何かひとつ書くと、芋づる式に関連する記憶がぶわ~っとよみがえる。記憶は四方八方にひも付き、どれから書けばいいかわからない。とにかく「あれもこれも」と記憶が暴れ続けるので、百科事典の厚さまでも余裕で書けると感じていた。とは言えそのとき書かなかったことはかなり忘れてきている。

 一方、原稿に残したことやホームページに書いたことは思い出しやすい。読み返して考えた内容が上書きされ、リアルタイムで感じたこととの区別ができなくなった。本人はそれでも困らないけれど、読む人には「記憶違いがあるかも知れない」と伝えなくてはと思う。また当時は漠然と感じた程度のことを今は分析して書いたので、もし当時の私が冷静だったような印象を与えたなら、それは誤解。

 困ったことのひとつは「恐怖」だった。感情が開く前は、夫以上に怖いものなど無い。夜中に人通りの無い暗い道を逃げたとき、大嫌いなはずの幽霊や痴漢や通り魔よりも夫の方が怖かった。けれど感情が開くと夫以外にも過敏になった。

 私はよく女性センター併設の図書室で書きものをしていた。ある日、座って書きまくる私のすぐ傍にひとりの男性が立った。私の後ろのポスターに関心があるのかじっと佇んでいる。私の頭は「この男性はポスターを見ているだけだ」と認識するのに、感情では怖くて男性の目線も確認できない。手がこちらに向きそうで怒鳴られそうな気がして「早くあっちへ行って」と無言で唱えた。幸い様々な本を読んでいたため、それがPTSDだと認識はできていた。

 職場でも少し苦労した。当時、派遣社員の私の所属部署は男性が10人で女性は私ひとり。議事録をとるため会議室だけが並ぶフロアで部屋に入り、扉を閉め隅っこに座る。ふと「もしここで何かあったら」と思う。周囲の部屋は無人で廊下を通る人もまずない。叫んでも聞こえないし10人相手では抵抗もできないと計算する。そして「そんな馬鹿なことありえない」と現実に戻る。澄ました顔で仕事したつもりでいたが、もしかしたら目が泳いでいたかも知れない。

 ところで、感情のふたが開く前から「悲しみや不安」は感じていた自覚がある。この2つの感情は自分の中だけで完結できたからだろうか。私が攻撃的な感情を持てば夫の暴力を引き出す可能性が高い。でも攻撃にならない感情は自分にゆるせたのだろう。それに当時の私の価値観では、この2つの感情は醜くないと思ったのではないか。感情には良いも悪いもないと知ったのはもう少し後のことだった。

 それにしても。無意識にこんな選別をするとは、人間の脳には何て繊細な機能があるのだろう。ただし危機回避できるのも良し悪しで、私は被害に留まる期間を長引かせてしまったと思う。人間のこのすごい能力は、特別な緊急時にのみ使われるべきだ。自分の脳をずっと緊急状態のままにしては、いつか壊れてしまう。