いつか愛せる

DVのその後のことなど

怒り

 一番多く溜め込んだ感情は怒りだったと思う。暴力の中で怒りを感じるのは危険だから。もし怒りを表現したら、確実に相手の暴力をあおってしまう。現実はどうあれ、当時の私は無意識にそう判断した。それに私は元々怒りを嫌悪していたのだと思う。感情が開いてからさえすぐには怒りを自覚できなかった。

 女性センターや図書館に通い、情報を仕入れていたころのこと。当時存在したDV関連本は読み終えてしまい、性被害や子どもの虐待など近いジャンルの本を読んでいた。その中でメディアによる女性差別を知り、さらに読みたい衝動にかられた。印象が強かったのは女子高生コンクリート詰め殺人事件を扱ったもの。私は元々怖いものが苦手で普段なら怖そうな本は避ける。なのにあえて読み、そして非常に腹を立てた。

 事件の被害者が女子高生だったため、メディアは興味本位で書き立てた。事件当時のニュースを私も覚えている。何の目的で被害者の写真を、しかも水着姿の写真を晒したのか。亡くなった女性は反論の機会さえ奪われたのに。その女性の気持ちを勝手に推測してファンタジーに変換した芸術家の妄言も書いてあり、その芸術家を嫌いになった。

 メディア批判の本を読んだからか、被害者に敬意のかけらもない報道への怒りが、怖い気持ちを上回った。残酷すぎる殺人の描写は途中から読み飛ばしてしまった。ひどく腹を立てて収まらず、そこでやっと気が付いた。私は今「怒りたい」のだと。私はまだまだ怒り足りなくて怒るに値する本を選んでいる、と自覚した。

 今こうして振り返ると申し訳ない気持ちになる。私は自分の感情を取り戻すためにいくつかの本を利用してしまった。無節操なメディアを批判は出来ない。せめてあの事件のことは忘れるまいと彼女のために祈った。

 怒りは恐怖と同様、日常生活にも影響が出た。幼い頃に誘拐され長年監禁されていた女性が保護されたニュースを見たときだ。私には彼女が逃げなかった理由が理解できてしまう。彼女は逃げたら家族を殺すと脅され、逃げる選択肢を奪われていた。

 だから私は怒りにかられて、思ったことを口にした。黙っていられなかった。夫は反応しなかったが、当てこすりのように聞こえて不快だったと思う。私が回復に向かう過程でそういうことは何度かあった。夫に当たってはいけないと自重するものの、完全には抑えられなかった。いえ、完全に抑えたら昔と同じで感情を殺すことになり、私は回復できなくなる。だから小出しにしようとしていた。

 怒りと恐怖は同時にくることも多い。ドラマで教師が生徒にセクハラするシーンを見た時、過呼吸を起こしかけテレビから離れた。腹は立ったものの、怒りだけなら見ていられたはずだ。どの感情なのか判明しないほど入り混じっていた。

 怒りに振り回されながら、私は夫を赦さなくてはとあがいていた。当時は教会で赦すことを学んだし当たり前だとさえ思った。暴力が減って夫との関係修復にも手をつけていたころ。赦そうとする思いは怒りと相反する。赦すことへのチャレンジは別の章に書くので話を怒りに戻そう。

 感情のふたが開いた、ということは今はわかるけれど当時は混乱した。毎晩布団に入ると暴力の記憶がよみがえって涙があふれる。なぜそうなるか理解できなかった。感情が「出たい出たい」とうめいていたのかも知れない。大声で泣きたい。わめきたい。でもそうしたら夫は困惑するだろう。知られるわけにはいかないからふとんに顔をうずめ、シーツを噛んで声を押し殺した。それでも飽き足らない日には無言でまくらを殴っていた。

 昼間も同じ感覚に襲われることがあった。電車の中でフラッシュバックが起きて涙が止まらなくなる。そういうことがあると知る前に始まってしまったし、一体いつまで続くのか、自分の異変の対処の仕方もわからなかった。

 

 それほどの怒りが今はすっかり治まっている。実はまくらを殴っていたことなど長年忘れていて、怒りについて過去に書いたものを読み直しようやく思い出した。「あれって怒りだったのかな?」と今もあやふやだし、吹き出した感情のカオスだったのだろうと思う。