いつか愛せる

DVのその後のことなど

自助グループ(その②)

 アラノンで自助というものを知ってすぐ、出来立ての別のグループにも一度参加したことがある。そこは女性限定で全員が初めての場だ。20名近い参加者が順番に、自己紹介というよりは自分が抱えている問題を話した。暴力から抜け出す方法を知りたい私が求める話は聞けなかった。

 自分の番になったとき何を話すか迷った。誰でもそうだろうけれど、自分の問題を数分にまとめるなんて不可能だ。モラルハラスメント的なことは説明が難しく、わかりやすい出来事を選ぶと派手な暴力の話になってしまう。夫は刃物を振り回したし、薬でブラックアウトもした(病院でもらう合法的な薬を酒と同時に摂取した)のでネタには困らない。

 それらをかい摘んで話すと、他の人たちが「え!」と少し引くのを感じた。不幸自慢に来たわけではないのにやってしまったと思った。派手な経験を持つ人間がいると、他の人が「自分は大したことない」と問題を矮小化したり、話しにくかったりしたかも知れない。そんな知識も配慮する余裕も無いのが当時の私だった。

 

 たった一度のそのミーティングで、大切なことに気が付いた。やはり聞いたことを公にはできないので、曖昧に書く。参加者のひとりはお子さんと同席していた。私はその子の言葉をひと言聞いただけで、瞬時に「羨ましい」と思ってしまった。私は誰にも知られない暴力に、いつもひとりで耐えていた。だからわかってくれる家族がいることが、とても羨ましくなった。孤独でないだけで、どれほど救われるだろうと思った。

 けれども、その場ですぐ考え直した。もし私にあんな子がいたら、私はわかってくれる家族のおかげで確かに強くなれるだろう。もっと耐えられるようになるだろう。でもそれは果たして良いことか? 私はその子を自分を救う道具にしてしまうかも知れない。いや、本当に救うのならまだいいが、暴力に留まるための力にしてしまうかも知れない。間違いなく、私は夫だけでなくその子とも共依存関係になるだろう。そしてその子はアダルトチルドレンになる。

 当時、私は30歳代だった。女性センターのカウンセラーに「もし子どもを持ちたいならタイムリミットも考えるように」と言われたのを思い出した。そんなこと考える余裕もなかったけれど、その日は少し意識した。今は駄目だ。私は子どもを持ってはいけない。もし万一妊娠したら逃げなくては。おとなの私に耐え難い生活に、幼い子どもが耐えられるはずない。その時きっと私の持っている責任感とか、母性とか、守らなくてはという全ての思いが夫ではなく子どもに向かうと想像できた。そもそもあのころの夫と一緒にいたら、子育てどころかまともに出産もできないだろう。私は夫から離れたに違いない。以降の私はタイムリミットを完全に忘れることにした。

 お子さんのいる被害当事者の中には、夫から我が子への暴力がきっかけで別れた人も少なくない。あるいは子どもへの直接的暴力がなくても、現場を子どもに見せることが精神的虐待に当たることが今は知られている。どんな状況であっても、子どもの存在はその人の考え方に大きく影響すると思った。 

 経済的理由等で「子どものため別れられない」と考える人も多い。子どもの存在は物理的には行動の足枷になるに違いない。一方で精神的には子どもの存在に助けられもする。離婚する場合もしない場合も、ひとりでいるより強くなれるだろう。いずれにしろ問題は子どもの有無ではなく、その人がどう生きたいかだ。

 少なくとも、あのミーティングで羨ましいと思った瞬間の私のように「一緒に暴力をうける人がほしい」などという思いで育てられては、子どもにとって迷惑だろう。そういったことを考えたのがあの日のミーティングだった。