いつか愛せる

DVのその後のことなど

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 20年前「いつか愛せる」の出版と同時に、同名のホームページを作った。情報発信したいし掲示板で自助をやりたかった。本を書くときは苦しさを吐き出し続けたが、ホームページを作ってからは回復について書きたいことがあふれていた。自己分析や何を考え実行したか。そのうち夫にリサーチして夫側のことも書き出した。ページ毎に美しい写真を壁紙に選び、コンテンツを増やすのが楽しかった。

 何より熱中したのが掲示板だ。当初は閑古鳥が鳴いたが次第に仲間が集まった。私と似たような経験をした女性たち。彼らの書く内容は少し前の自分を客観視するようだった。だから渦中の自分に伝えたかったことをレスポンスした。一般的な自助グループのような「言いっぱなし聞きっぱなし」などのルールは作らなかった。また私がクリスチャンだったため(現在クリスチャンの自認はないが神様のことは大好きだ)キリスト者の友人もでき、私は掲示板に関する目標を口にした。

被害者と加害者とクリスチャンが入り乱れてやり取りする場所にしたい!

そう言いつつそんなの無理だと思っていた。被害者と加害者が同じ場にいて荒れないはずがない。すでにweb上で何度も対立を見ていた。だから夢のようなことを勢いで言っただけ。

 なのにサイト作成から数年で実現してしまい、本人が一番驚いた。安全な場所にしたいから過度な宣伝はせず管理人としてすべての書き込みに配慮はした。とは言えどうしてそうなったのか、神様ありがとうとしか言いようがない。(後にはリアルで被害者と加害者を同席にする支援を知り京都まで見に行き共感した)

 掲示板では伝える難しさも学んだ。例えば、私がAさんあてに書いたことを理解してもらえず、BさんもAさんに同じことを伝えてくれた。Aさん以外は皆理解していたようで、Cさんも加勢してくれた。すると、Aさんの上でパカン!とくす玉が割れたように「わかりました!」となった。Cさんの言葉の何かがAさんの心のカギを開いた。相手によりタイミングにより伝わる言葉は違うと知った。本当に楽しく宝物のような言葉をたくさん拾った。誰かの書き込みに反応し返信すると、他の誰かがまた何かを拾って興味深い考察をする。まるで言葉のハンカチ落としだと思う。誰でも何枚でもハンカチを落としていい。好きなだけ拾っていい。掲示板が盛り上がる時には、色とりどりのハンカチが猛スピードで飛び交うようだった。

 掲示板のログをパソコンの故障で失ったのが残念でならない。もちろん重苦しい話も多く、危うく対立にもなりかけた。それでも私の記憶にある掲示板はワクワクさせてくれるサンクチュアリだった。

 サイトを始めてからはメールもいただいた。女性はメールの後、掲示板に参加してくれることが多い。一方、加害者を名乗ってメールをくださる方は、思いを文章にするのが苦手だと尻込みする。ひっそりと妻を取り戻すアドバイスをもらいたかったのだろうか。私はカウンセラーではなく一般人なのに。メールを拒否はしなかったが確認していた。

「私は男性とメールする際は夫に報告しますが、あなたの妻さんは、女性とやり取りするのを嫌がりませんか? 連絡出来るなら許可をとってください」

すると「すみませんでした!」とそれきりになる。最初からフルネームを名乗るなど真面目な印象の人が多いが、妻に了承をとってメールの継続をした人はいない。一方、掲示板に来てくれた自称バタラーの男性たちとは、人柄が想像できるほど会話を楽しんだし印象に残っている。

 ホームページは私のサバイバーの自認が無くなるまで続けていた。DVをテーマにして活発に更新したのは、多分、5~6年だったと思う。