いつか愛せる

DVのその後のことなど

リハビリ病院での義母

 義母が転院して間も無く桜の季節になった。リハビリ病院のすぐ近くに川沿いの桜並木があり、その年は雨も少なく長期間桜を楽しめた。リハビリ時間に車椅子を押して散歩に連れ出してくれることもある。医師と看護師の他に、作業療法士理学療法士がいるお陰で「手をかけてくれている」と感じられた。

 食事と歯磨きや洗顔もリハビリ項目だった。歯ブラシと歯磨き粉は食堂前の洗面所に置き、食後に数人ずつ行っていたらしい。午前も午後もリハビリのプログラムがある。ストレッチや歩く練習は、広い体育館で行われた。マンツーマンゆえに人数は限られるし、市営病院でも料金はそれなりにかかった。(←高額療養費制度でかなり戻るが、何ヶ月も先になる)でもひどい猫背だった義母の姿勢が少しずつ良くなっていた。

 恐らく義母にとって大変だったのは、精神的な抵抗を克服することだったと思う。ひとつは入浴。車椅子で風呂場まで行き、そこで脱衣させられてタオルを掛け、あとは入浴用のリフトに乗せられてお湯にざぶんと浸けられる。「まるで芋洗いよ」とのこと。

 スタッフには男性も居たが開き直るしかない。そのうち慣れてきて「寒いからもう少し温まりたい」言うと「じゃああと10秒だけね」とサービスしてくれたと言う。すべてが流れ作業で次々に効率よく着替えまでさせられる。

 もうひとつは排便。尿カテーテルをつけていたが、排便は自然には出ない。何と毎日看護師さんが出させてくれたらしい。ちょうどお見舞いに行ったタイミングで「しばらく待ってくださいね~」と看護師さんに言われると、私たちはカーテンの中には入らず待合室に行く。長いときは1時間くらい待った。

 これらはリハビリ病院だけがやってくれることなのかは不明。他の病院では浣腸を入れるところまでしか見たことがない。お腹を押したり手袋をつけてかき出したりする力技だったようだ。義母は人前できちんとしていたいタイプなので辛かったろうし、そこまでしてくれる看護師さんには頭がさがった。

 入院中に泌尿器科のある別の病院へ通院したこともあり、その時は何とか普通のタクシーで対応できた。大変ではあったが義母は明るくなっていた。3ヶ月後の退院までに自分で出せるようにならなくてはとリハビリを頑張っていた。

 手先のリハビリはグループで行う手芸や塗り絵など。廊下には患者の作品が飾られていた。義母は入院中に作ったティッシュケースを「お礼に」と私にプレゼントしてくれたので、今も使っている。

 

 私は週末や祭日だけだったが、夫は平日も頻繁にお見舞いに行った。母のリハビリ中も療法士さんにどんどん話かけて笑わせる。そのうち顔を覚えられて知らないスタッフからも挨拶されるようになった。夫は長らく自宅療養中(=無職)なのだが、わざとスーツ姿でお見舞いに行くこともあり「一体何をしている人だろう?」と話題になったらしい。

 おしゃべりな夫はタクシーで運転手さんと話すことも、病院のスタッフと話すことも楽しんでいた。義母のリクエストに答えておやつもよく買ってあげていた。この時期にかなりの親孝行ができたと思う。

 ただ義母は知らないが、夫は病院の外で倒れたことが複数回ある。自分のお昼や義母のおやつを買うためしばしばコンビニに行っていたが、そのコンビニが意外に遠い。途中でよろけて土手に落ちたと言う。

 その状態から私に電話してきたことがある。職場にいる私に一体何ができるだろう。仕事中にかかってくる夫からの着信は、私のトラウマになっている。