いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母を待つ義父とノンちゃん

 義母がリハビリ病院に入院していた3ヶ月の間に、義父と一緒にお見舞いに行ったのは3~4回だったと思う。もっと頻繁に行ってあげれば良かったかも知れない。でも行っても何か話すでもないし、義父の食事や薬の心配もしなくてはならない。病院内にはレストランが無く小さな売店にあるのは菓子パンくらいだった。

 

 ある日、また義父は自転車でお見舞いに行こうとしていた。前の病院に行こうとして大騒ぎになったのは覚えているのだろうか。今度は病院の場所を電話で聞いたそうで、番地をメモした紙を大事そうに持っていた。前以上に遠いし義父がひとりで行くのはあまりに危険。体力的にも無理だ。そんなに義母に会いたいなら会わせてあげるしかないと、急遽予定変更して夫が一緒にタクシーで行くことにした。

 理由は忘れたが私は夫の実家で留守番した。探し物か片付け物をしていたか、あるいは愛猫ノンちゃんをひとり(1匹)にするのが可哀想だったからか。ふと気がつくと、ノンちゃんの姿が見えない。義父は裏口から庭に出た後、網戸を閉め忘れる癖がある。そこから出てしまったのか?

 完全な箱入り娘のノンちゃんは外に出たら迷子になってしまうかも知れない。絶対に見つけなくては・・・私は「ノンちゃ~ん!!」と呼びながら庭と家中を探し回る。でも見つからなくてタクシーの中にいる夫に電話した「ノンちゃんがいない!」

 夫は「お袋のベッドの下にいないか? 2階に行って床をドン!と叩けば出てくるかも知れない」 私は2階の義母のベッドの前に行き、床をドンドン踏み鳴らした。でも反応はない。再び電話して「出てこない!」というと「すぐ戻る!」と引き返すらしい。夫もノンちゃんが外に出てしまう心配をしていた。

 念のためもう一度、義母のベッドの下をのぞきこんだ。すると、一番奥の暗いところにノンちゃんの目が、ミュージカルキャッツのポスターのように光っていた。

「いた! ノンちゃんいたああぁぁぁ」

義母が入院してから、この場所で静かにしていることが増えた。私もノンちゃんとはよく遊んで仲良くしていたのに、やはり義母がいないと元気がない。ヘルパーさんなど知らない人が急に出入りするようになったのも、ノンちゃんにはストレスだったろう。夫はすぐ近くまで戻っていたらしいが、「ノンちゃんいたよ!」と連絡すると再び病院に向かった。

 

 そんな風にしてお見舞いに行っても、やはり義父は何も話さなかったらしい。義母は多分、自分のリハビリに専念していたろう。自宅でひとりと1匹が待っている。というより義母のお世話を待っているという自覚があるからこそ、頑張っていたと思う。

 義両親も若いころは色々あったと夫から聞いているが、晩年の仲は良くも悪くもない。もう少し心の通う会話があればいいのにと思う。私は義父に「お母さんに何を伝えたいですか?」と聞くと「早く元気になって帰って来い」だけだと言う。でも言いそうにない。「じゃあ、それを手紙に書きませんか? 毎回持って行きますよ」

 義父の趣味はゴルフと剣道と書道だった。字を書くのは嫌いではないはずだ。でも「そういうのは苦手なんだよ・・・」と渋る昭和一桁生まれ。せっかく関係改善のチャンスなのに。あとどのくらい一緒にいられるかわからない年齢だったし、ちゃんと気持ちを伝えてほしかった。