いつか愛せる

DVのその後のことなど

ベルサイユのばら_エピソード編感想①

  13~14巻を買ったついでに、11~12巻を読み返した。一度に感想を書けそうにないので、人物別に書いてみよう。まずはジェローデル。

 

 私は子どものころはジェローデルが嫌いだった。なにしろアンドレを侮辱したし、オスカルに求婚して二人の中を引き裂きかけたからだ。ただオスカルの思いを知って身を引いたことだけが彼の長所に思えた。どこを見ているのかわからない三白眼とワカメのような髪型も、私の好みではなかった。

 おとなになって読み返した時、ジェローデルの良さが少しわかった。彼はオスカルが民衆側につき衛兵隊を指揮した時に助けているが、私はその意味がわかっていなかったと。

「御身が血に紅く染まらんよりは よし謀叛人となりて断頭台に立たん 我がシルフィード」というセリフも(記憶だけで書いたので間違えたらすみません)キザなだけではなかった。

 民衆側に立つオスカルたちを助けたということは、自分も死刑になる恐れがあるではないか。官位を剥奪され営倉に閉じ込められたことがエピソード編でわかる。閉じ込められたおかげでジェローデルは死に損ねた。

 昔からジェローデルにふさわしいと思う言葉は「美学」だった。自分の肩書より命より「美学」を優先しそうな人。だから謀反人になってもオスカルを助けることを選んだ。(一方でオスカルは自分の命よりも思想を優先した)

 彼はオスカルの思想には傾倒していない。彼が助けたのは民衆ではなくオスカルであり、ジェローデルが革命についてどう思っているかは描かれない。仮にアンドレが存在しなくても、オスカルが革命側につく生き方を選んだ時点で、思想の不一致ゆえジェローデルと結ばれることはない。(もしオスカルがジェローデルを選ぶとしたら、あの時代の貴族の女性として生きる選択をしたということ。その時点でもうオスカルではない)

 それにジェローデルが一般市民になって貧乏生活するところは、まったく想像できない。そうなるくらいなら死を選びそうな気がする。(もしオスカルが革命後も生き延びていたら、ロザリーに習ってアンドレとともに平民暮らしに馴染む努力をしたと思う)

 

 ここから先がエピソード編の感想。ジェローデルの少年時代が描かれた。確かにポーの一族(ちょっとネタバレ)に出てきそうな容姿と孤独の持ち主。

 オスカルとの最初の出会いはまだ10歳。自分と1歳しか違わないオスカルが近衛士官に選ばれることが気に入らず、剣の勝負を挑む自信家。でもオスカルに負ける。

 多分、彼は家庭環境ゆえ女性不信や恋愛不信だったと思う。当初は女性としてでなく人間としてのオスカルに惹かれたはず。その後も彼は自分の意志で動く自立した女性にしか興味を持たない。当時の貴族社会にはほとんど存在しなかったろう。

 オスカルの死後、ジェローデルが唯一心惹かれたのはフェルゼンの妹であるソフィア。本編では完全な脇役だったが、エピソード編では凛とした女性。(オルフェウスの窓のアルラウネとアナスタシアとヴェーラをミックスしたようなイメージ)。でも結局ソフィアとも結ばれない。

 このソフィアをかくまう際、咄嗟に密会を装ったことからして(オスカルに迫ったときもそうだが)、女嫌いなのに女性の扱いには慣れている。当時の習わしとして女性との付き合いは嗜んだのか。そうしないと出世も出来ない。

 ジェローデルはフェルゼンの生き方をうらやましいと言う。マリーアントワネットを助けるためフェルゼンが死地に向かうときのことだ。完全に悲恋で絶望的なフェルゼンなのに、愛する人のために死ぬことがうらやましいのだろう。そして自分も同じようにフランスに戻る。ソフィアはすべてを言い当てる。

「あなたは理解なさりたいと思っているのね。オスカルさまがなぜ王室に逆らい平民たちの側に寝返ったのか・・・」

ここに著者の池田理代子さんの思いが出ていると思えてならない。こういうシーンはオルフェウスの窓にもあった。ユリウスが迷いながらもイザークの求愛を断り、クラウスのいる革命下のロシアへ行くときと同じ。愛する人が命をかけているものが何か、(愛を得るためでなく)それを知るために自分も命をかける。

 

 最後のエピソードで、ジェローデルは亡命しようとするロザリーと息子のフランソワ(←オスカルのミドルネーム)の命を助け、ソフィアに託すまで支援する。それはロザリーがオスカルに近しい人間だったから、というだけの理由ではないと思う。

 ロザリーの夫は革命家のベルナール(元黒い騎士)。オスカルに強い影響を与えた人物で、完全に民衆側だ。そんなロザリーと革命後の世界を生きていく息子のフランソワを守った。元々のジェローデルなら関心を持ちそうにない人物を、大きな負担や危険を伴っても助けた。

 それはきっとオスカルの思想を理解しようとしたからだと思う。だからオスカルが生きていればやったであろうことをした。彼は生きながらえてそこに到達した。

 ジェローデルはフェルゼンのように、愛する人のために死ぬことはできなかった。生きながらえてしまったことは彼の美学に反するだろう。だから死なない存在にされるオチなのかなあ、と思う。

 フェルゼンが愛する人を殺した民衆を憎み、心が荒み老いて亡霊のような姿で死んだのとは対照的に。おそらく革命を認め変わっていく世の中を理解しようとしたジェローデルは、老いることなく美しいままだ。

 

(次は誰の感想にしようかな? フェルゼン、ジャルジェ夫妻、ロザリー、アントワネット・・・オスカルは最後!)