著者の小松原織香さんと私の出会いは20年近く前、私のホームページの掲示板を小松原さんが訪ねてくださったこと。当時の彼女は苦しさ直中の学生さんだった。
その数年後、今度は私が小松原さんを発見した。興味深い記事だらけのブログ「キリンが逆立ちしたピアス」を見て、あの時の人と同一人物では?と感じ「人違いだったら失礼だなあ」と思いながらもメールを出した。やはりご本人だとわかりしばらくメールのやり取り。
その後、私はDV問題から離れて早幾年。たまたまネットで小松原さんの著書を知り、驚くやら懐かしいやら、すぐ読んで感想を送付。この度、転載の了承をいただいたのでご紹介。
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自助グループで話を聞くように、小松原さんの語りを自己の経験に重ねて拝読しました。拾いたい言葉が多く、記載ページをメモしていたらほぼ全ページになったほど。
きちんと書けるということは大事だなあ、と自分の文才の無さを思います。最近、自分語りとその自己分析を書き始めました。「いつか愛せる」の続きで、出版するあては皆無ですが(当時の出版社は廃業しているので)でも赦すことの体験はいつか絶対に書きたいと思い続けていました。
そんなタイミングで小松原さんの本に出会い、赦しについて書かれた論文も拝読しました。そしてもう20年くらい前に小松原さんが私の掲示板で「相手を殺してしまいそうだから赦したい」とデリダの話をしてくださったことを思い出しました。
P36「やっと私の置かれている状況を理解している人の言葉を見つけたとも思った。」
P37「私は、距離を置いて自分の状況を観察し、分析するための道具を初めて手に入れたのである。」
当時はわからなかった小松原さんのデリダへの強い関心の理由が、やっとわかってきました。研究してくださって助かります。私は自分の赦しの体験を書きながら、きっと小松原さんの論文を読み返すでしょう。そして自分の経験や現状がどういう赦しであるのかそうでないのか、考えるヒントをいただきます。
一方、ちょっと似た経験をしたのを思い出しました。聖書の一節に惹かれた時のことです。
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。 (コリント人への手紙第二_7章10節)」
かつて毎日が悲しくて悲しくて、悲しみという言葉に惹かれたのです。神様のこころに添った悲しみがあるなら私の悲しみにも意味があるのかと。悲しみに潰されそうな自分を肯定したかったのでしょう。でも私の場合は勘違いでした。この悲しみは悔い改めに向かうどころか、このまま続けたら死をもたらす方だと思い、悲しみへの興味を失ったのでした。
P42「すべて赦す」
相手にそう告げたことも、かつて掲示板で教えてくださいましたね。彼は小松原さんに赦すと宣言された意味を理解できなかった。(すぐ話をはぐらかしたのは罪の意識があって決まりが悪かったのか?)
でも彼側にも意義があると私は思いました。いつか彼が寿命を終えて神様の前に立った時、少なくとも彼は、小松原さんへの暴力だけが理由で神様に拒否されることはないはず。すでに赦されていますから。もしかしたら小松原さんは彼を救ったのかも知れません。
P44「彼に私の話を理解してもらうことは、諦めるしかない」
私も自分を回復させる中で同じことを思いました。私の相手は夫なのでいつでも話はできましたが、すぐ彼の想像力では無理だと気付きました。
それに、もし仮に夫がこの痛みを理解出来たらどうなるか。逆の立場で想像しました。私がほぼ無自覚に夫を傷つけそれを全部理解したなら、私は自分がしたことの恐ろしさに震えます。消せない傷を負わせたことをどう償えばいいかわからず死にたくなるでしょう。
すべてわかってもらおうとすることは、相手にそうなる要求をするということ。それはもう復讐と一緒だなと。復讐する気はなかったので、理解してもらうのを諦めました。ですので、
P181「あなたにはわからない、それでいい」
という言葉にも共感します。
P57「性暴力というものが、被害者の心を深く傷つけ、人生に大きな影響を与えるという問題こそが、私にとって向き合うべき課題になった。」
なるほど小松原さんのその時の課題。共通の関心が多い私の課題は何だろう。支援者にも研究者にもならず、すでにサバイバーの自覚も消えた元当事者の私が今も書きたいのはなぜ?
私は昔から人が(良い意味で)変わるのを見るのが好きです。テレビで見る事業の成功話、ダイエットの成功事例、教会で聞いた悔い改めの事例も。人が変わるとは成長すること。誰かの成長を見ると励まされて自分も成長したくなる。今回は小松原さんの本で、少しの羨ましさを感じつつワクワクさせていただきました。
だから私は失敗も成功も含めて自分の体験とそこから学んだことを伝えたい。教えるのでなく伝えたい。自助グループのように、私の経験から誰かが何かを拾って自身の成長に利用してほしい。自分の苦しみが生かされたら私はラッキーです。誰かの役に立つことで過去の自分を労いたいのかも知れません。小松原さんも書かれていましたね。
P185「他人の役に立てるために」
P197「どうすれば被害の記憶を抱えたまま、もっと強くなり、自らの道を歩く力を得ることができるようになるのか」
P200「私の語りの型は、誰かの生き延びるための道具となり、破壊され、新しい型の創造の糧になる日を待っている」
私の経験はDVなので、分析する課題は2種類あると考えます。ひとつは全ての被害経験者と共通で「自分を立て直すこと」。もうひとつは「相手との関係を変えること」です。私の強い関心はおもにひとつ目の方です。
2002年に「いつか愛せる」を出版した時には振り返りと現状を書くのが精一杯でした。思いの温度が冷めないうちに残したかったし素人である私の限界なのですが、今はもう少し成長した文章を書きたいと思いました。
そうそう。伝えたい理由を小松原さんのおかげでもうひとつ自覚しました。
P72「野生動物の生体展示」
P99 「めんどうくさい当事者」
私は元当事者だけれど「私(夫)という個人は、誰かが作った被害者(加害者)という箱の中に居るのではない」と伝えたくなりました。すべての人に「私はあなたと対等な一個人だ」と言いたいです。
DVの中で人格否定されていたころ「人間でないものになりたい。そうすれば人間扱いされなくても気にならない」と思いました。そのせいで「対等」にこだわるのか、私の元々の性質なのかはもうわかりませんが。上からでも下からでもなく真っ直ぐに見られたいです。
P69「真実」より先に「物語」がここにはあった/現実にはならない「夢」
私も言葉から真実が起きたことを思い出します。本を出版した直後に、自助のように語り合える仲間が欲しくて掲示板を作りました。その時言葉にしたのです。「ここを被害者と加害者とクリスチャンが入り乱れて語り合う場所にしたい」
当時、カウンセリングで被害者と加害者を同席させてはいけないのが常識になりつつあったし、Web上で被害者と加害者がぶつかり荒れるのも見ていました。だから私の夢は非常識極まりなかったはずだし、私に何か能力があったわけでもありません。
なのに、気付けば希望した通りになっていた。期間限定ではありましたが。言葉にしてそこに進む努力を続けると、望みは(害になる望みでなければ)叶うものらしい。あの場でも私はたくさんの宝物を拾いました。
ただし今の私は、被害者・加害者という呼び方が好きではないし、クリスチャンという自認もありません。神様のことは前以上に信じているというより大好きですが。
P88「ハーマンにすら見えなかったものが、私(たち)の世界にはある」
P107「わかってほしい」
P189「私は同情でも買いたいのか」
P197「私が知りたい知識はどこにも書いていなかった」
わかります。こういうのを共通言語と言うのでしょうか。問答無用でわかります!
P109「修復的司法の対話は、被害者に何をもたらすのか」
多くの当事者と掲示板で何年も会話していた私は、対話を求めることを自然に感じます。ある時期には自身の相手である夫と、日々危なげではありましたが司法と無関係に修復的な対話をしていました。
例えば自分がこんな目にあった理由を知りたかったので、少しずつ夫に聞きました。暴力に正当な理由があるはずもなく、いくら聞いても納得できるはずはないのですが。それでも聞けてよかったです。「あの日は焼きたてのサンマを床に落としてしまい帰宅したあなたに八つ当たりした」という馬鹿馬鹿しい話さえ、「私の落ち度ではなかった」という確認に役立ちました。その当時は夫にとっても自己分析の機会になったかも知れません。
P163「失敗したら謝ろう」
すごいなあ。何て勇気があって謙遜な言葉だろうと思いました。
私は自分の回復が進むに従い、被害経験話を普通の人のように読み流せるようになりました。痛みを思い出すことはあっても、ほぼ記憶の奥に仕舞われた状態。その状態のまま当事者と接したら失礼なことを言って傷つけそうです。かといって被害の記憶を常に目の前に置きたくはなくなったので、掲示板での自助はもう終えていました。
私は「もし当事者と接する機会があればこの問題に対して謙遜でいたい」と考えました。必要な時だけ自分の記憶を引っ張り出すことも出来ます。小松原さんが水俣で「自分は当事者ではない」と思った時は、ご自身の記憶を利用することが出来ない状態。私ならとてもそこに飛び込む勇気は持てません。だから「失敗したら謝ろう」という覚悟こそ謙遜だと思いました。
P173「かれらを人間として捉えようと試み始めた。」「自分の延長線上にいる理解可能な存在」
これも似た経験があります。私の回復のターニングポイントのひとつです。ネットでDVに関する情報を読んでいたころ。当事者や支援者が「被害者は・・・」「加害者は・・・」と言及するのを見てなぜか段々イライラしてきました。多分、決めつけられることに腹立ったのでしょうがすぐには自覚できず。「被害者は」とあれば私のことを勝手に決めないで。「加害者は」とあれば私の夫を否定するなという思い。
そこで私の意識に登ってきたのは「どっちも人間だ!」でした。私たちは被害者や加害者という生き物ではなく、ただ問題を抱えていた人間。私にも欠点があり誰かを傷つけることもある。同じ土台に立つ生き物だと突然理解しました。それに、後に私が掲示板で出会った当事者も、それぞれ個性を持つ素敵な人たちでした。
小松原さんにとって、支援者や研究者も自分を傷つける加害者であったのですね。でも彼らの苦労も善意や優しさもご存知なので、敵視はしても加害者とは呼ばないのだろうと思います。しかもお立場上、自身のいる世界を批判したことになってしまう複雑さ。
渦中の当事者が傷だらけで、周囲の人にとって付き合いにくい存在になり易いことはわかります。←私は元当事者だからこう言えますが、そうでない人が同じことを言えば失礼になる可能性がある。そんな気遣いが必要な方々のご苦労も推察いたします。私は支援者や研究者の皆さんにも、全部はわかってくれなくていいから謙遜でいていただけたらうれしいです。
P26「語り得ない過去」
私は自分が嘘をついているのではという不安は無いので「語り得ない過去」が自分にあるのか考えてみました。そういえば性的な暴力の記憶はほとんど語ったことがないし、思い出したくないしその必要も感じません。だから正確に記憶しているのか確認する気もありません。それで構わないと思っています。アラノンで読んだ本の言葉を思い出します。
「自分のまわりで起こる何かによって傷つけられた時、その何かが私を傷つけたのではなく、そのことについての私の考え方と、感じ方が私を傷つけたのである。」
具体的に何が起きたかどうかにはもうあまり意味を感じません。そのことによって傷ついた自分が現実に居る。だからその自分を何とかしたかっただけです。
おっしゃる通り人生は多面的で、DVは人生を変える大きな経験ではあっても私の一部でしかなく、私の一面しか現しません。しかも経験の意味は時間によって変化もします。だから当事者の枠に入れられたくないのだと改めて思いました。
P199「ギリギリでハッピーエンドになるようにしておいた」
小松原さんの人生はまだ続くし、ハッピーでない時もたくさんお持ちなのでしょう。それでもハッピーエンドに表現してくださりワクワクさせていただきありがとうございました。
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以上。
読み直す度に新たな発見をするので、多分また感想を書くと思う。