いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護の中の平穏と不穏

 義母の退院からまた毎日が忙しかった。電話や支払いや手続きのほとんどは平日の昼間しか受けてもらえない。だから出勤時に職場の最寄り駅を出て会社に着くまでの時間が勝負で、毎朝ひと仕事すませていた。

ケアマネさんやデイケアのスタッフに電話したり、銀行やコンビニで支払いをしたり、義実家の生活費をおろしに行ったり、必要な書類をコピーしに行ったり。

 年金では足りないから定期預金や自営業時代の出資金をおろす必要もあったが、当然本人は行けない。銀行や保険会社との面倒なやり取りもあった。

たま~に何もしないでまっすぐ出勤できる日があるとホッとするほど、用事が多かった。今だったらテレワークの日に色々やれたのに!

 

 ケアマネさんが作成する介護計画も病院や訪問看護もすべて、ケアされる人のためにのみ作られている。もちろん内容は悪くないが、家族が全面協力できる前提としか思えない。

作成された計画を毎月家族が読んで、納得したら捺印して返す。つまり家族の意志のもとにケアが行われる形で、毎月毎月複数の手続きがある。(しかも私たちは一度に義両親二人分)

形式的でなく本当にそうできる人はどのくらい居るんだろう? 家族が遠くにいる場合だってあるのに。

 夫には何度か「手を抜け」と言われた。夫の体調が戻らず動けない期間が続き、私が働きながらひとりでそれらをやることに無理がきていた。

 

 それでも義両親の状態が良い時期はあり、穏やかな日々の間に不穏な日が食い込んでくるような状態。あるいは不穏の中に平穏があるというべきか。

私が免許の更新に行った土曜日のこと。休日はいつも義実家へ行くので、久しぶりの外出で私はお茶でもして帰ろうかと呆け気味だった。

 更新手続きが終わり、あとは機械で番号を確認して帰るだけの時に夫から電話がきた。義母から具合が悪いと電話があったらしい。

夫も動けないので義母は病院に行くことを諦めたらしいが、それを聞いたら私は急いで帰るしかない。タクシーで義実家へ行き家の前で待機してもらった。

 

 義母が玄関にある段差を降りてタクシーに乗る際、リハビリ病院で教わったテクニックが生きた。

療法士さんから「お嫁さんも練習を」と言われ覚えたのは、義母の腕ではなく後ろから腰を支えることだった。

「お母さん、お尻押しますよ」と腰を支えて無事に乗車。

義母は「病院に行けると思ったらもう元気になってきちゃったわ」と言う。私への気遣いか。

 月に1回訪問診療を受けていたおかげで、休日に急患で行ってもカルテがあるので話が早い。しかも支払いは毎月の分に加算するから不要とのこと。その日は大ごとにならずに薬をもらって帰宅できた。

 

 訪問診療を利用していると、どこか痛くて不安だけど通院できないという場合も電話で看護師さんが来てくれたりした。契約しておいて良かったと思う。

介護保険医療保険どちらでも良いとのことで、家庭の状況に応じて利用できるらしい。悩むことはたくさんあるが、まずは遠慮なくケアマネさんに相談することからだと知った。