いつか愛せる

DVのその後のことなど

加害者(←この言い方は嫌いだけど)との対話を求めること

 小松原織香さんの著書「当事者は嘘をつく」の中に、「なぜ、被害者が加害者に会おうとするのか」という表記が出てくる。私も考えてみた。

(※小松原さんは19歳の時に性暴力の被害を経験された修復的司法の研究者)

私がご本人あてに送った感想はこちら↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2022/10/03/090000

 

 私の場合はDVで相手は夫、しかも離婚しなかったので会うまでもなく同居。さらに私は過去にDV当事者が集まるサイトを運営したため、夫以外の自称バタラーさんたちとも交流できた。これら特殊事情のおかげで、望まずとも加害者(←この言い方は嫌いだけど)と話せた。

 でも多くの場合、相手に会うことは無い。会えば再び被害にあう可能性があり、そうでなくてもメンタル的に危険なので周囲に反対される。

相手の顔も見たくない人もいる。一方で会いたがる人は確実にいる。もし私が会えない状況だったら? やはり会って話したいと思う。その理由を考える。

 

 私はなぜ自分がこんな目にあったのか知りたかった。どんな理由があっても暴力を肯定はしないけれど、理由が無ければなおさら受け入れられない。更にこのアクシデントは避けられなかったのか。避ける方法があったなら知っておきたい。

 あるいは原因となる理由が無いなら、意味を知りたい。この大きなマイナスによって、私の人生に何がもたらされるのか。何かの罰か? 人生を深く考えるため? 誰かの役に立つため? とにかく少しでもいいから理解したい。

 事件や事故の被害者やその遺族が、経緯や理由を明確に知りたがることと似ている気がする。取り返しはつかないし納得もできない。それでも知りたい。

相手は最大の証人であり犯人であり謎を握る、自分が知りたいことを引き出せる可能性を持っている人物。だから会いたい。

 

「当事者は嘘をつく」によると、そういう被害当事者の思いを支援者は「回復の言説に回収する」という。回復の言説に回収とは難しい表現だし、私は支援者との関わりは少なかったのでわかりにくい。

それでも「あなたはまだ回復していないからそう考えるのよ」と言われたようで、自分のことではないのにイラッとする。

 

 だから、現実に私がいわゆる加害者と話すことで何を得られたか書ければ、修復的司法の後押しになるかも知れない。実体験は何よりも強いはずだから。

が、何日もこの画面をにらんだのに脱線ばかりでまとまらない。これが素人の悲しさか。

ほんのちょっとだけ、頭に浮かんだことをメモがわりに残す。↓

 

 掲示板を訪れる被害当事者の中には、加害当事者の男性と話したくて来た人も居た。自分の相手でなくとも、同じ立場の人に聞きたいことがあるからだった。

きっと私と似たような理由。自分に重大な欠陥があって暴力を誘発させたのでないなら、自分に起きたことの意味や理由を知りたかった。

 私は被害者でなくなり始めた20年ほど前に気付いた。被害者も加害者も人間だ、と。加害者は言葉が通じないように見えてもモンスターではない。もちろん被害者は捕食されるための存在ではない。それぞれ別の問題を抱えてしまった人間にすぎない。

それから私は徐々に被害者・加害者という言葉を使いたくなくなった。

 

まだこれだけ。いつかもう少しまともに書けたらと思う。

 多分こういうことを学術的に書かれている小松原さんの著書が「性暴力と修復的司法」だと思う。

私も関心はあるけれど、高価なことと、おそらく専門家向けで難しそうで手を出せない。