いつか愛せる

DVのその後のことなど

虹の橋を渡ったノンちゃん

 介護の話に戻り、時期は私たちの引越しが終わったころ。段ボール開封がひと段落して、各種住所変更手続きに入った。幸い夫が動ける状態だったので一緒に市役所と銀行へ。

 

「今日は実家へ行かなくて大丈夫かなあ」と思いながら、久しぶりに外でお茶していた。

 そこに義母から電話あり。「ノンちゃんの具合が悪いの・・・」

しばらく前から、ノンちゃんの食欲が減ってカリカリを食べなくなった。鰹の削り節なら食べるとのことで、私は毎週のように削り節を買って届けた。

ノンちゃんはグルメで、封を開けたての細かく削られたものしか食べない。(鰹節には塩分が含まれるため、腎臓の弱い生き物である猫には良くないらしい。でも残念ながらそれを知らなかった)

 

 ところがその日は削り節も食べずにグッタリしているという。急いで帰宅して実家へ。

ケージにノンちゃんを入れて馴染みの獣医さんへ行ったが、まだ午後の受付が始まる10分前。2月の寒空の中、病院の前で待つ羽目になった。

「ごめんねノンちゃん・・・寒いね。もう少しまってね」

上着を脱いでくるんであげたくなったが、私も夫も風邪をひくわけにいかない。ケージに被さるようにして風よけになって待った。その日は入院して様子を見てもらったと思う。

 

 写真は元気だったころのノンちゃんだが、カメラ嫌いで滅多に正面から撮らせてくれなかった。運動神経が良く筋肉質で、後ろから見るとチキンの丸焼きを思わせた。 

          

 

 一度は退院できたがその後もあまり元気が出ず、ある朝、また義母から電話があった。

「ノンちゃんが亡くなりました・・・今まで色々ありがとう」

スコティッシュフォールドの平均寿命は13年らしい。ノンちゃんはまだ10歳だった。

 

 私たちは実家へ行き、段ボールの中でお気に入りのタオルにくるまれたノンちゃんを見た。少しやせたが毛並みのせいで変化は目立たない。私はしばらく頭を撫でていた。

あまり悲しんでいる暇もなく、ペットの火葬業者さんを呼ぶ。義母はかつてペットロスで不安定になったことがあるので心配だった。

 でも今回は、同じく猫好きなヘルパーさんに慰められた。義母と一緒に泣いていてくれたらしい。

だからその日は予定の掃除はできない。でも掃除よりもありがたかった。仕事ではないけれど、義母の心に寄り添ってくれた。個人的な関係ができていたのだと思った。

 

 少し後に、このヘルパーさんは義母に「また猫を飼ったら?」と勧めてくれたそうだ。

義母が「猫より先に死んじゃうといけないから」と断ると「そうなったら私がもらってあげるから」とまで言ってくれた。

 当初は反対した夫も義母が元気になるならと、新しい猫を迎えることに同意した。でも義母はやはり諦めた。自分で世話が出来ない、と考えたからだと思う。

義母が重いペットロスにならなかったのは、義父の心配などで悲しみに捕らわれる余裕がなかったおかげかも知れない。