いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母の想いと義実家の思い出

 介護関連の記憶があまりに曖昧なので、当時書き殴った日記もどきのメモを出した。私たちが引越し、愛猫ノンちゃんが虹の橋を渡ったのは2017年。その年の秋ごろの記録を見た。

 

 まだ義両親が自宅にいて、ヘルパーさんや訪問看護に助けられていたころ。夫は相変わらず体調が不安定で、ほとんど私ひとりで義実家へ行っていた。

 このころ、自宅を売ることを義母にどうすれば納得してもらえるか悩んでいた。夫が何度か言った時にはまったく聞かず。私は義母の気持ちを引き出すことからチャレンジしてみた。なぜ売りたくないのかよりまず、どうなりたいのかと。

通帳の残高を見せる機会のときそんな話題をふってみると、義母は

「○○(←夫の愛称)とmanaさんに財産を残したい」とか

「○○に働けるようになってほしい」と言った。

私は「じゃあ宝くじを買うしかないですね~」と誤魔化した。家の話は早いかなと判断した。

 

 翌週、義母に頼まれて宝くじを買ってきた。義母は喜んで、棚の上に置いてあるノンちゃんのお骨に供えようとした。仏壇のイメージらしい。

 ところが手がうまく届かず、棚と壁のわずかな隙間に宝くじが落ちてしまった。細い隙間で手は入らない。私は棚をずらそうとしたが、備え付けらしくまったく動かない。

義父が針金でできたハンガーを持ってきて、針金を伸ばして引っ掛けてやっと出せた。

 あんな狭いところから色々なものが出てきた。古いビデオのカタログ、新聞紙、年賀状、不動産のチラシ。そして色紙が2枚。(実はビデオのカタログは、義父が義母から隠したかったらしいアダルト系だったのは内緒だ)

 色紙の1枚は梅と鶯の絵。日本画家で書道家でもあったお祖父ちゃんが喜寿の記念に描いたものだ、と義父が思い出した。もう1枚は義父が描いた竹の絵。せっかくなのでラップに包んで棚に仕舞った。楽しい発見。

 

 家の件の後日談。

そのころの私たちは現実ばかりに目が行ってわからなかったが、義母は家を私たちに残したかったようだ。

翌年、本当に家を売ることになった時、すでに義両親とも入院して家を離れていた。夫と私は最後の記念にと夫の実家に一晩泊まった。

 夏のころで虫の音が賑やかだった。車や人通りは少ない。驚くほど静かで良い環境だとしみじみ思った。建売で買った時には「いずれ地下鉄が通ります」と言われたのに騙されたわと聞いていた。通勤には少し不便だけれど、川沿いの桜並木の真ん前の家。

 義父母は私たちに残したかったんだなあ。夫がずっと働けないし、私たちのお金の心配をしてくれたに違いない。

 そういう思いがあるから、もう古くてボロボロの家を義母は何とか修理したがっていた。それは現実的だとは思えなかったけれど。でも義両親の想いをありがたいなと感じる。