いつか愛せる

DVのその後のことなど

クビにならなかったわけ

 介護が一番大変だったころ「そろそろクビになるかも知れないな」と思っていた。今の会社で働き始めて5年目くらいだった。

義両親のための休みや早退は、ある程度は計画が立つ。突発的な通院などはあっても、翌日には出社できた。でも夫の不調は原因も不明で、いつどうなるかまったく見当がつかなかった。「動けない」と電話がかかって来る度に、私は青い顔をして「すみません、早退させてください」と大あわてで帰宅した。

初めのうちは早退しないで済ませようと、時間をかけて様子を聞いたり励ましたりしていた。電話が長時間に渡り、私はその間廊下や階段や会社の外など人目をさけて場所移動を続け、行方不明の不審者になっていたと思う。

 急いで帰宅すると夫が倒れていたことが何度もある。そんな状態で病院に連れて行こうとしたことも、訪問診療の予約をしたこともあるが、最終的に夫は拒否した。恐らく診察しても正しい結果は出なかったと思う。

体調への不安から夫は再飲酒(昔アル中だった)し、それがさらに体調を悪化させていた。アルコール依存の問題は専門医でなければ手を出せないはず。

 

 会社には当時の私にとって有利な点と不利な点があった。有利だったのは、たまたまそのころの私が期日に捉われない業務をひとりで受け持っていたこと。だから早退しても休んでも、あまり同僚の負担を増やさずにすんだ。

不利だったかも知れないことは、部長職の上司が移動して来て日が浅かったこと。だから私の印象は最初から「勤務状況が悪い人」だったはず。

 休む日の連絡はいつもメール。連続で出社できないときも、こまめに事情を報告はした。介護休暇をすすめてくれたので、時短勤務をしていた時期もある。それは私の体力的には助かったけれど、急な休みや早退を避けることにはならなかった。

 ある日、直属の若い男性上司から言われた。唯一私と同じ部署に長く居た人。「manaさんは本来は休まない人だって上に言っておいたよ」

確かに私は介護が始まる前は休みをほとんど取らず、有給休暇を余らせていた。遅刻もしたことがない。それを伝えてフォローしてくれたことはありがたかった。と同時に、わざわざそれを言ってくれるということは、私の進退が危うい状態だということ。漠然と覚悟を決めたと言うか、それを考える余裕もなかったと言うか。

           

 本当に本当に幸いなことに、私の首は切られなかった。そして今はまた有給休暇を余らせている。夫の両親はすでに見送ったが、今度は自分の両親の介護に備えて夏休みは取らなかった。だから、今月の夫の通院付き添い時はすんなり休めた。

あの時クビにされなかった理由はわざわざ聞いていない。いいや。思い出したくもないし。

 問題が無くはないけれど、あのころと比べれば今はすごく気が楽だ。だから。

そのおかげで・・・そのせい、にしてはいけないんだけど・・・・・太った・・・・・・😞

(クビにならなかったわけでなくダイエットを始めたわけ、という落ち)