いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護自滅を避ける

 5年前の冬の日記もどきメモを再び見る。義母が帯状疱疹にかかって辛そうだったこと、義父のトイレの後に下着が濡れていて、毎回ヘルパーさんに着替えもお願いする方が良いのかと迷ったことなど。庭にはペット用の消臭スプレーをかけまくっていたけれど、匂いの原因は他にもあったのかも知れない。

 そのくらいしか書かれていず、他は自分たちの問題でいっぱいだったらしい。夫には自分の健康を優先するようにと何度も言われた。自分の両親のことなのに、そこは冷たいとも思えたし理性的だったとも思う。

もし俺たちがふたりとも居なかったらどうなったか」と何度も言う。夫はひとりっ子だから他にお世話する人間はない。近所には親戚もなく、助けてくれそうな人たちはすでに本人も高齢だ。

私たちが居なかったら? 月に一度はケアマネージャーが訪問してくれるから、何らかの支援に繋げてくれるのだろうか? そうでなければふたりともあの家で死を待つことになってしまう。怖くて想像もしたくなかった。

 

 毎週末に義実家へ行き、一緒に食事して夕方まで用足しやら義母のおしゃべりの相手をするのが恒例だったのに。ある日は夫の具合が悪かったので、昼食後早々に「心配なので帰ります」と出て来てしまった。笑顔で取り繕うことすらしなかった。

義母にはひどく心配をかけてしまったろうと思う。本当はもっともっと出来ることをしたかったし、義母のおしゃべりの相手をゆっくりしたかったのに。

でもそれが自滅しないためのギリギリの選択だった。多い時には週に3~4回義実家へ行ったけれど、そのころは週に1回に減らしていた。

 私は体重が40キロを切ってしまい(身長も高くはないけれど)ゆるゆるになったスカートをベルトで閉めて無理にはいていた記憶がある。服を買いに行く発想もなかった。血圧もそのころから高くなったし、常に寝不足だった。

それらは介護だけが理由だったわけではないけれど。とにかくもっと人手がほしかったなと思う。夫とふたりで義両親のお世話をしていたころは何とかなったものの、夫が動けなくなったらひとりで3人のお世話は不可能

 精一杯介護をして自滅することなど、義両親は絶対に望むはずがない。老いた両親を道連れに自殺する人のニュースもあった。その選択は誰も幸せにしない。

だから「もっとああしたかった、こうしたかった」という後悔はあるけれど、自分たちを優先したことは間違っていなかったと思う。

 

 これらは5年位前の話なので、もちろん今はまったく状況が違う。私の体重は元に戻るところに留まらず遥かな領域に行った😂ほど。考えてみればダイエットをするって、それは生活に「ゆとり」があると言えるかも知れない。