いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護が佳境に入ったころ③

 自分の健康を優先して義実家と距離をとる決意はしたが、やることはどんどん増える一方。迷いながら行動する時期が続いた。

 日曜日に義実家へ行き、昼食後に義父の壊死しかけた足の洗浄をする。前週は訪問看護師さんが義父の入浴時間に合わせて来てくれたらしい。今週はどうかと問い合わせようか迷ってやめた。調整役はもうしない。私は極力手をひく。

でも自分がいる間に出来ることはしたい。義母の部屋着兼運動着であるスウェットパンツの裾上げをする。市販のパンツは義母には長くて危険だったため、自分で仮縫いまではしてくれていた。あとは本縫いするだけ。

 それから、義母に携帯電話を身に着ける提案をした。固定電話は迷惑電話が多くなって夫が取り外し済み。携帯電話は少し離れると義両親に音が聞こえず、連絡がとれないことがあった。

以前は「重いから」と嫌がった義母だが賛成してくれた。首にリボンをかけ携帯のカバーをリボンに挟み込む。リボンは長めにして携帯をエプロンのポケットに入れる。

相変わらず夫の具合が悪いので長居は出来ず、そのあたりで帰宅。

 

 2日後の火曜日、また休みをとって義父を紹介先の専門病院へ。ひどく混んでいた。何とかここで入院に持っていかなくてはならない。

午後からの受付。また「連絡先」に私の名前と電話番号を書く羽目になる。義母も夫も動けず私が連絡先になるしかない。それから長い長い時間がかかった。もともとの予約の間に割りこんだので待たされたのか?

          

 私は最初の1時間は疲れて座って居眠りしていた。3時ごろからは呼ばれる可能性を気にして、順番を聞きに行ったり義父に水を飲んでもらったり。でも実際に呼ばれたのはやっと5時ごろ。幸い血流改善のため、入院してステントの手術をすることになった。

 その後もまたいつ呼ばれるかわからず、席を外せないので家に報告の電話も出来ない。なのに訪問看護師さんからの電話etc.とかかってくる。

またかなり待った後、入院のための検査で5~6か所をめぐらされる。義父も疲れただろう。義父の血糖値が下がり過ぎないよう、自販機でホットレモンを買って飲んでもらう。

それから入院の説明をうけてようやくその日の会計。最後にまたまた書類の説明をうけた。病院を出たのは7時過ぎ。

 義母は鍵をあけたまま夕飯用のお弁当も食べずに待っていた。急いで義父に夕飯を出す。私は義母に薬の説明だけして、自分も急いで帰宅した。翌週入院の際にまた休みをとらなくてはならないなあとか、夫は無事かなあとか考えながら。