いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護が佳境に入ったころ④

 検査の翌週に義父の入院。もう何度休みを取って付き添ったろう。午前中に義実家へ行き、義父の衣類に名前を書く。昼食後、義父にトイレを促しタクシーを呼ぶ。私は自分の寝不足に加えて時間が気になりイライラしてしまった。

入院設備の建物はまだ新しく、まるでホテルのように立派。受付でまた何枚も書類を書く。

連帯保証人の欄は”同上”で通った」とメモしてあるが、自分で書いたのにもう意味が不明。多分、保証人欄に私の名前を書かずに済んだという意味か。夫は自分の両親の責任を負わせたくないので、以前から私に「保証人欄に自分の名前は書くな」と言っていた。

「引越しと保証人」の記事はこちら↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2022/11/10/204052

 

 看護師さんにこっそり話す。義父は庭をトイレ代わりにしてしまうことがあるので、病院でも粗相があるかも知れない。「もし必要ならオムツを使ってください」と。義父も病院でならオムツを断らないかも知れない。

テレビカードを買って使い方を義父に説明したが、最初に病院の案内画面からテレビに切り替えるのが難しい。パソコンをさわったことのない義父には無理そうだった。水やお茶を買って冷蔵庫に入れて病室を出た。

            

 もらった書類のなかに「相談窓口」の案内が入っていた。何か助けになってもらえるだろうか? 少しだけ期待して寄る。

何度も病院に来られないから義父の着替えが心配だ、等と話していたら、夫から電話が入る。義母の呼吸がおかしいとか何とか・・・・・私は混乱してすっかり相談員さんを待たせてしまった。でも、とにかく私の役に立ってもらえそうな支援は無かった。

(この相談員さんからは退院日に電話をもらった。本当に心配をかけてしまったと思うが、「大丈夫です」と断ることしか出来なかった。他人に気を使う余裕も考える余力もないエンプティモード)

 小雨の中、またタクシーで義実家に戻る。義母は一人暮らしの経験がなく、義父の入院時は実は怖くて仕方ないらしい。そこで「テレビ付きインターフォンをつけませんか?」と提案した。来客時にいちいちカギを開けずに済む。本当は該当製品を探して取り付けまで手伝ってあげたい。でも提案だけしてそれ以上は余裕がなく、私は帰宅した。

 

 夜、お風呂から出て自分の目の異常に気付いた。左目の端の方が異様に真っ赤。何かついているのかと思ったが取れない。毛細血管が切れた状態だと後から知った。疲れや高血圧によるもので、痛くも痒くもないがかなり目立つ。

 義父は翌日と、さらに3日後に片足ずつステントの手術。家族の立ち会いがいるし、退院時も行く必要がある。真っ赤な目で会社や病院に行きたくないけれど、看護師さんはプロだから一目で事情がわかるだろう。気にするまいと思った。