いつか愛せる

DVのその後のことなど

適材適所

 昨日はちょっと力仕事をした。大量の契約書を運んでいた時のこと。(台車をとりに行くのが面倒なので、私はキャスター付きの椅子にファイルボックスを5~6個乗せて運ぶ)

 廊下の扉を開け段差のある所で椅子を移動させようとジタバタしていたら、ちょうど通りかかった若者が、自分の荷物はその場に置いたまま走ってきてくれた。

遠慮がちながら一生懸命に、私がその場を通り抜けるまでドアを押さえていてくれるので「ありがとうございます。助かりました」とお礼を言った。

今もテレワークの人員が多く、あまり人が通らない社内。私ひとりでもお尻でドアを押さえて何とかなるけれど、それではファイルボックスを椅子から落とすかも知れない。とにかく人の気遣いはうれしい。

 昨日私を助けてくれたのは、障がい者雇用で入った若者のひとり。肉体ではなく精神の方なので見た目には普通の若者と変わらず、どういう障がいなのかはわからない。そういうメンバーがこの事業所だけで5~6人いる。

私は彼らの苦労もサポートするメンバーの苦労もほとんど知らないけれど、彼らの存在には好感を持っている。とにかく素直で一生懸命で挨拶が気持ちいいから。

「挨拶しても気付かないで無視する人がいるかも知れない。それでも挨拶するように」と指導されているらしい。おかげで仏頂面な古株も彼らに挨拶を返す。

何か届けてくれる時も、緊張した面持ちで「失礼します。○○をお持ちしました。よろしくお願いします。」とお辞儀するので「ご苦労様です」と受け取ると、少し安心したように「よろしくお願いします。失礼します」と、ちゃんと習った通りに言っているだろうと微笑ましくなる。障がいに関係なく、あの素直さがいいと感じるんだろうなあ。

彼らは挨拶も仕事だと認識しているに違いない。そしてそれは社内の雰囲気を良くする立派な仕事のひとつだと私も思う。

 業務はメール便の配達や郵便物の処理をする他、常に他部門からの業務依頼を募集している。当部署からも「テープを使いやすい長さにカットする」作業を頼むことがある。サポートメンバーには「こういう仕事がすごくやりやすい」と喜ばれた。決まった長さに切る、という迷わない作業が良いらしい。

「適当に」という概念や「状況によって変化する」業務は苦手らしい。コロナ過に入ったときには、急激に導入されたテレワークという変化について行けず辞めてしまった人もいるらしい。サポートメンバーも試行錯誤を繰り返していると聞く。

慣れても人によって得手不得手があり、郵便物の封入が上手に出来ない人もいれば、きれいに延々と作業できる人もいる。パソコンは皆できるようだ。

 適材適所が良いのは障がいの有無に関係なく当り前だけど。一生懸命な彼らを見ていると、是非本人の資質に合った仕事に出会えるといいなと心から思う。