いつか愛せる

DVのその後のことなど

義実家への郷愁なのか?

 このところ2018年春ごろの記録を見て介護のことを書いているけれど、記録していなかった自分の気持ちを思い出した。

 いつごろからだろう。義実家の売却のために動き始めたころからか、私は少しずつ喪失感を感じていた。あと少しであの家は無くなってしまうのだと。

介護が始まってから数えきれないほど通い詰めた家。夫と一緒よりは私ひとりで通った回数がはるかに多い。その家とともに思い出を失うような寂しさ。

 夫は意外に、元自分の部屋や家への思い入れは薄いようだった。私にとっては義両親との思い出の多い場所。家だけではない。義実家へ向かう道も、いずれ自転車で走ることは無くなる。その風景すら手放したくないような気がした。

よく行ったスーパーやドラッグストアも、義父のかかりつけの内科もノンちゃんを連れて行った獣医さんも、もう用が無くなる。

 特に義母が入院し次に義父が入院したころ、私は家に対する借別の気持ちが大きくなった。住む人がいなくなり物が散乱した家は、寂しくて切なかった。やることが多くて感傷に浸る時間が少なかったのは、むしろ幸いだったかも知れない。

義実家へ行く度に、家に向かって「今までありがとう。あともう少しだけ頑張ってここに存在してね」と祈り心で呟いていた。

 義両親にとっては、私以上に愛着があったはず。自分たちで苦労して買った古い家。そして何とか夫と私に「残したい」と思っていた家。(それも後から知った)

でもいよいよ手放す前に、義父は夫に「全部まかせる」と言っていた。そして義母は、司法書士が売却の意思確認に病院まで来た際、手足を動かすことさえ出来ない状態でもしっかりした声で「よろしくお願いします」とひとこと言った。それ以外どうしようもなかったとはいえ、愚痴や後悔のことばは聞いていない。

 

 私は人との思い出につながる「物」への執着が強い方らしい。残してくれたものを捨てるのがとても難しい。物を捨てたからと言って思い出が消えるわけではないのに。

             

 義実家があった場所を、まず更地になった時に一度夫と見に行った。何も無い方が狭く感じられた。ここが台所、ここが応接、ここが玄関·····と歩いてみた。

それから新しい持ち主の家が建った後、少し離れた場所から眺めてみた。外観の写真を撮り、当時施設に入所していた義父にも見せた。義父はそこがどこだかピンと来ないようだった。

 年を重ねると切ないことが増えるなと思う。でも切ないということは、それが好きだった証拠。好きなものがたくさんあるということは、幸せなこと。