いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護あるあるなジレンマ 

 介護にありがちかも知れないジレンマを思い出した。

身内には出来るだけ長く自立していてほしいと願う。でも要介護認定の数字は上がってほしい。つまり、自立度が低いと判断されてほしいという矛盾。

なぜなら、数字が上がるほど介護保険の使用限度額が上がるから。「要支援1」と「要介護5」では利用できる金額が7倍ほども違う。サービスが7倍も違うのだ。

 

 ある時期の義父は急激に動けなくなってきた。急いで介護ベッドを入れた日にはベッドに上がってもらうことも出来ず、私は途方に暮れた。↓

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 ケアマネージャーは再度の認定手続きをしてくれた。当時の要介護度は「2」だったと思うけれど、「3」か「4」に上がると見込めた。

でも審査前に少し回復の兆しが見えた。ある日はベッドに座ってお弁当を半分くらいは食べられた。審査時にその調子では認定が変わらないかも知れない。うれしいけど困る! 回復を喜べない皮肉。

             

 すでにその時は介護保険を限度まで使い切り、大幅に自腹(=10割負担)だった。義母の入院で義父を気に掛ける人が居なくなり、ヘルパーさんに多く入ってもらうしかない。壊死した足の消毒のため訪問看護も必要不可欠だった。(義母の負担割合は1割だったが、義父の自己負担額は2割でそもそも余分にお金がかかっていた)

 それに保険の使用額が増えたもうひとつの理由は、私が義実家に行く回数を減らしたから。ヘルパーさんに通院の付き添いを頼んだりしたせいだ。身内が体を使えなければお金を使うしかない。

 

 そこで迷って仕事をやめてしまう人もいるだろうなと思う。私も「いつクビになるか」と冷や冷やしたけれど、私がクビになったら我が家は無収入で路頭に迷う。でも夫の究極の判断で介護自滅を避けることが出来た。

 介護の途中から夫は原因不明の不具合で動けなくなり、私は働きながら3人のお世話をする立場になった。その立場と言ってもそんなことは不可能だ。夫に「俺の両親から手を離せ」「体力を温存しろ」と言われ続けた。

常に時間は足りないし、自分の体力と感情の狭間で迷った。そういう迷いも介護の辛さのひとつだったのかな。

 夫と私が自滅することを義両親が望むはずはないし、今ごろ天国で「だってしようがないわよ」「うん、いいんだよ」と笑ってくれていそうな気がする。そう思える関係を作っておけて本当に良かった。