いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護タクシーのYさん

 久しぶりに介護の続き。義父が車椅子で玄関の階段から落ち、念のため入院検査した翌日のこと。前回の話は下記。

義父の運命が動いた日 ↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2023/03/04/170000

 あいかわらず仕事中も電話はかかってくる。一日中、ケアマネージャーや保険会社や病院の相談員らと連絡を取り合った日。あちこちの支払いや入院準備の買い物も。

 午後には早退して医師に会いに行く。幸い義父は軽い打身程度で検査結果に異常は無し。だから早めに病院を出なくてはならない。そのためには家に戻るかどこか施設に入るか、今後を考えなくてはいけない。まだ家の売却も決まっていないというのに。

 幸いだったのは、介護タクシーが入っている保険会社が、義父の入院に関するすべての費用を出すと言ってくれたこと。私が病院へ行く交通費も義父が見るテレビのカード代金もOK。義母も同じ病院に入院していたからとても助かった。

 義母と義父はまだ会わせてもらっていないという。夜になって、私は義母を車椅子で義父のところに運んだ。喜んでもらえると勝手に思っていた。その2年くらい前に義母が入院していた時、義父には「遠いからひとりで行かないでください」と言っておいたのに、自転車でお見舞いに行こうとして大騒ぎになったから。

義母に会いたい義父 ↓

https://manaasami.hatenablog.com/entry/2022/09/18/090400

 義母は少し元気になっていたけれど、義父はぼんやりした様子だった。手足を動かせないよう拘束されていたからかも知れない。

実は昼間、義父は自分で歩いて他の病室でおしっこしてしまったとのこと。きっとトイレを探して間に合わなかったんだろうな。拘束された姿は義母にはコルセットに見えたらしい。

 義父は、義母と再会しても感情が動かなくなってしまったのかな。そこまで弱ってしまったのかな。慌ただしい中であまり考える余裕も無かったけれど、残念だった。

その後もふたりはしばらく同じ病院にいたのに、会いたがる様子はなかった。

 

 義実家に寄り、冷蔵庫で干からびかけた野菜等を引き取る。義父の怪我の元になった介護タクシー運転手のYさんから「ご主人にもお詫びさせてください」と何度も言われていたが、ずっと体調の悪い夫は面倒がって「いいよって言っておいて」と断る。Yさんの立場では、お詫びさせてもらえないのも苦しかったかも知れない。

             

 Yさんは本当に誠実な対応を続けてくれた。私を病院まで送ってくれたり、義父が病院を出て施設に移る際も、引越屋さんのようなことまで手伝ってくれた。それらはすべて無料だったし、彼はその時間は他の仕事ができず自腹を切っていたはず

当時の私はあまりに疲れて余裕がなくて「そういうものなのかな」と流していたけれど、もっときちんとお礼を言えば良かったと思っている。