義父が義母と同じ病院にいるころの話の続き。
<義父の様子>
・義母を連れて行っても眠そうで反応がにぶい。
・拘束されているので筋肉が衰えないか心配。リハビリの計画書に期待してサインした。
・要介護認定やり直しの結果が届いて「要介護4」になった。
<義母の様子>
義母とは車椅子でロビーに行き、一緒におやつを食べて夫と電話で話してもらう状態が続いていたのに、急にすっかり弱ってしまった。背中が痛くて動けずリハビリも休んだと言う。食欲もない。前日レントゲンをとり「骨には異常ない」と言われていた。
ナースステーションへ行きリハビリの先生に痛みの原因を聞くと「食べないので筋力が弱っているから」だと言う。義母は「疲れてしかたないから休んだ方がいい」と言うが、先生は「負荷はかけていない」という。
実はその一週間後にCTを撮り、また骨がつぶれているのが見つかった。頑張り屋の義母が痛くて動けないと言うのは、やはり異常があったから。当時はあまりに忙しくて考える余裕もなかったけれど、記録を読み返してわかった。そうだったのかと今さらになって憤る。この時期は義母の退院のためのカンファレンスを行うと聞いていたのにとんでもない。
同じころ、食べることの好きな義母の食欲がまったく無くなっている。病院食がおいしくないのは仕方ないものの「食べたい」と言われて買って行ったお菓子にも手をつけなかった。やはりもう少し後になってから腸の異常が見つかった。
病院には「高齢者はしょっちゅうどこか痛がっているもの」という認識があるんじゃないだろうか。だから不具合に対する対処が遅いと感じてしまう。病院は患者の性格は把握していないから仕方ないのかも知れない。もし私も夫も元気で頻繁にお見舞いに行けていたら、もっと両親のことばに耳を傾けて病院にも押せたはず。それで助けになれたかどうかはわからないけれど。
<他の人たち>
・義父には転倒による不具合は無かったので、保険会社は早く退院してほしかったはず。
でも今後のことが決まらず退院を先延ばし。義父の入院費用はすべて保険会社持ちで、図らずも私たちはこれを利用する形になった。
・ケアマネージャーも、義父の今後を早く決めてほしかったはず。義父の退院のカンファレンスには家族も立ち会ってほしいと言われていた。今は当時の記録を読んでその事情もわかるけれど、その時の私には余裕がなく生返事していたかも知れない。
夫の具合は相変わらず良くない。そして私も、毎日夕食後に寝込んでしまうほど疲れていた。(夫が動けないほど具合が悪い日は私も食事や睡眠をとれない)そして疲れがあるのに熟睡できない。
このころ「妙に食欲がある」とのメモがあった。「睡眠不足を食事で補っているのか?」とも書かれている。やつれていた私が太り始めたのは、この時期だったのかな。