いつか愛せる

DVのその後のことなど

今だから話せること「さぶろうさんという友人」

 私がさぶろうさんと関わったのは、もう20年も前。期間も長くはない。実際お会いしたのは2度だけだし、ネットを介したやり取りも1年に満たなかったかも知れない。でも彼の背景を含め、決して忘れられない人のひとり。

 

*出会い

 きっかけの説明は少し複雑。ブログに何度か書いたように私は1992年に結婚し、DV=ドメスティック・バイオレンスを経験した。そして2002年にその経緯を書き素人ながら出版した *1。タイトルは「いつか愛せるードメスティックバイオレンス共依存からの回復」

 出版と同時に同じ名称のホームページを作り、2012年ごろまで運営した。それは、掲示板を使って自助グループのような活動をしたかったから。乗り越えたと言っても私はまだまだ回復の途上にあった。

 そんな経緯があり、しばしばDV経験を持つ当事者から相談メールをいただいた。さぶろうさんもそのひとり。つまり、さぶろうさんは夫婦間の暴力が原因で離婚した男性。世間ではDV加害者と呼ばれる立場。ただし今の私は「被害者」「加害者」というラベリングが嫌いで、さぶろうさんのことも私の友人という認識しかない。

 彼が私にコンタクトしてきた理由は何か。妻だった女性が私の拙い著書を読んでくださったらしい。家を出る際に本が置いてあった。置き忘れたのかさぶろうさんに読んでほしかったのかはわからない。でも彼は元妻からのメッセージと受け取ったようだ。

 理由はもうひとつ。当時の私は、自分がクリスチャンだと明記していた *2。日本のクリスチャン人口はかなり少ないのに、さぶろうさんもクリスチャン。その共通点だけで多くを共有できる。

 

*なぜ家族と仕事と住まいを失ったか

 私は異性とやり取りするメールには注意が必要だと考えていた。でも離婚済みなら妻さんへの配慮はいらない。自分の夫に「こういう人とメールでやり取りするよ」とだけ報告し、いずれさぶろうさんを掲示板に誘おうと考えた。

 はじめのころのメールでは穏やかな雑談。さぶろうさんは私のペンネーム「あさみまな」を、クリスチャンらしい解釈でほめてくれた。『朝、見る、マナ』ですか、いいお名前ですねと。マナとは、旧約聖書イスラエルの民が荒野で飢えたときに、神様が毎朝天から降らせた食物。つまり天からの日々の恵みをあらわす。同意したい素敵な解釈だけれど「実はもっとミーハーです」と白状した。「まな」は聖書から拝借したものの、意味以上に語感が可愛くて好きだからだし「あさみ」はさらにミーハーだ。

 何度かやり取りした後さぶろうさんは本名を名乗り、元の職業も明かした。さぶろうは愛称で本名とは違う。そして彼の元の職業は牧師だった。*3

 それは予想もしなかった。当時の私にとって牧師とは、相談にのってくれる立場の人だから。もっと後になって、クリスチャン業界の情報誌で牧師家庭のDV問題の記事を見た。どんな聖職に就いている人も、不完全な人間には違いない。牧師は他者のために自分と家族を犠牲にすることが多く、ストレスでDVが起きやすい環境かも知れない。

 ともあれ色々と合点がいった。最初にさぶろうさんが「DVで家族と仕事と住まいを失った」と言ったのはそういうことか。教会を牧会していた夫婦が離婚した。だから教会を去ることになり仕事と住まいも同時に失った。どれほど大きな喪失感だろう。鬱を患ったというのも頷けた。特殊な仕事ゆえに再就職も難しい。離婚した牧師を迎えてくれる教会があるのかどうか、私にはわからない。

 

*さぶろうさんの妻だった女性

 さらに私は、さぶろうさんと離婚した女性のことが気になった。私は彼女と近い経験をした人間で、より共感しやすいのは元妻さんの方。それに教会がどんな所でクリスチャンがどんな考えをするか、ある程度はわかる。

 聖書には「私は離婚を憎む(マラキ書2章16節)」と書かれているし、クリスチャンはそうでない人以上に離婚を避けようと努力する*4。ましてや牧師の家庭は信徒のお手本となることを期待される。それでも離婚を選んだ彼女は、決断にどれほど悩んだことだろう。自分の人生や信仰をすべて否定するような思いだったのではないか。周囲に離婚を非難する人もいた可能性が高い。彼女の立場上、教会の人々に暴力のことを打ち明けはしないと思う。

 相談できる相手は居ただろうか。DV被害の支援をするカウンセラーに会ったとしても、彼女は牧師の妻だったことを話せるだろうか。話したところで特殊な立場の苦しみを理解してもらえるのか。クリスチャンや牧師夫人である友人の方々は、彼女の離婚にどう反応するだろう。善意で助けになってくれても、もし「元に戻れるよう祈っています」などと言われたら、痛みが増すだけではないか。

 

*自助の仲間になる

 私は妻だった女性の苦しみに思いを馳せたものの、すでに鬱を患っているさぶろうさんに伝えるのはためらわれた。彼は長文を書くエネルギーが無いらしく少しずつ書いてくれた。はじめは元妻さんが出て行ったことに怒りを感じたという。牧師の妻が出て行くなんてあり得ないと甘えていた。でも現実を認識するにつれ、心身の不調に陥ったらしい。

 それでも彼は、具合が良い日には掲示板にも参加するようになった。私の掲示板は当初は被害経験のある女性ばかりだったのに、次第に男性の参加者が増えていた。私は対立にならないよう常に気を配った。当時DVのカウンセリングは夫婦別々に行うのが当たりまえ。被害側が加害側を恐れてまともに話せないため同席はしない。今も多くの場でそうかも知れない。

 でも私がやっていたのはカウンセリングではなく自助。私が掲示板を作ったとき勢いで口にした「被害者も加害者もクリスチャンも入り乱れてやり取りする場にしたい!」という願いが奇跡的に現実化して、さぶろうさんも仲間になってくれた。牧師だったことを掲示板では明かさなかったけれど、他のDV当事者の女性とも慎重にやり取りしていた。元の仕事柄もあり、掲示板で初対面の相手と和やかに対話することは難しくなかったと思う。

 さぶろうさんの文章は、時には明るく感じられた。けれど日によってムラがあり、今にして思えば鬱の薬の影響で明るかっただけかも知れない。私にくださるメールでは、元妻が戻ってくれたら「DV関係にある夫婦を助ける働きをしたい」と夢を持ち始めた。一方で「ゆるしてもらえないことを恐れている」とも書かれていた。私はできる限り励ましたいものの、元妻さんの気持ちに関しては、確信なく期待を持たせることは書けなかった。

 

*さぶろうさんとの別れ

 不調の波で、さぶろうさんからの返事はなかなか来ないことがある。私は「具合が悪いなら返事は無理しないでくださいね」と一方的に新たな近況報告メールを送ったりした。あなたの存在を忘れていないと伝えたかった。

 けれど3ヶ月近くも音沙汰がなくて「今回の不調は長いなあ」と思っていたころ。「さぶろうの姉です」と名乗る方からメールをいただいた。以前に「姉夫妻が近所にいて助けてもらっている」とは聞いていた。その姉上からメールをいただいたのがちょうどクリスマスイブだったので、私は今も12月24日になるとさぶろうさんを思い出す。

 彼は、2ヶ月も前に心不全で亡くなっていたと知った。なぜ? まだ30代なのに心不全って起きるの? 私が最後に出したメールは読んでくれた? 送ったのは亡くなる一週間前だったけれど、読めたかどうかはわからない。私は何かさぶろうさんにショックを与えるようなことは書いていない? 様々な思いが駆け巡った。でもとにかく自殺ではない*5。良かった。牧師までした人だ。生きようとしていたはずだ。

 

*友人として伝えたい

 そうして私とさぶろうさんとのやり取りは終わってしまった。私はまた彼の元妻だった女性のことを思った。お子さんがいるし自身も仕事を失ったのに、さぶろうさんからの養育費も得られなくなったのか。彼の死はきっとすぐ耳に入ったろう。葬儀を行なったとしたら、彼女も出席したかも知れない。もしそうであれば彼女にとってどんな針のむしろだろう。

 また新たに苦しむのではないか。彼女のせいではないのに責任を感じるかも知れない。あるいは暴力の恐怖から解放されてホッとするかも知れないし、ホッとした自分を責めるかも知れない。私には妄想や想像がいくらでも湧いてくる。なのに祈る他に出来ることは無い。

 でも、もし。もしいつか彼女が、離婚後のさぶろうさんが何を感じていたか知りたいと思ったなら。私はさぶろうさんの最後の友人として伝えたい。だから彼がくれたメールも掲示板の記録も、残しておいた。いつか彼女から連絡が来ることを願った。私は彼女の名前すら知らないし、余計なお世話だろうから探して連絡をとる気はない。ただ待つだけ。

 それから10年を過ぎたころ、引越しの際にパソコンが壊れてデータがすべて消えてしまった。もうさぶろうさんの言葉は私の頭の中にしかない。記憶でしか伝えられない。それでも本と同名のホームページは記録として残した。私のメールアドレスがわかるように。

 そしてとうとう20年が過ぎた。小さかったお子さんが成人するのを、さぶろうさんは天から見守っていただろう。その間私も色々あり、世の中の苦労はDVだけではないと当たり前のことを実感した。生活に区切りがつき自分の時間が少しできて、私は取りかかれなかった目標に着手しようと思った。

 

*目標に取り掛かる

 私は、20年前に出した本の続きを書きたかった。つまりDVのその後のこと。別れる別れないに関係なく、満身創痍の自分をどうやって立て直して生きるのか。相手をゆるせるのか。あれから20年経ってもそういう実例を書いた本は見たことがない。昔も同じだった。読みたい本が存在しないから自分で書こう。でもお世話になった出版社の廃業でツテも無く、素人の私には無謀な目標と言える。しかも書くことから遠ざかっていたせいかまったく筆が進まない。

 そんなタイミングで、懐かしい人が書いた書籍の存在を知った。「当事者は嘘をつく」筑摩書房 。著者の小松原織香さんとは、かつて私の掲示板で知り合った。性暴力をうけた苦しみの中にいる学生だった彼女と、何度かやり取りしたのを思い出す。すぐ取り寄せてその本を読んだ。私の中に沈殿してほこりをかぶっていた記憶や思いが、掘り返され舞い上がった。ページをめくるたびに共感がとまらない。さらに「これがプロの本だ」と思った。私はこんな風には書けない。それでも私にしか書けないことがある。刺激を受けたおかげでとにかく書き始めた。書く練習のつもりでブログを始めた。

 

*彼女に届きますように

 ブログ名はかつての本やホームページと同じ「いつか愛せる」にした。内容と無関係な名前に見えてもかまわない。IDも昔のペンネームを使う。かつて掲示板でやり取りした仲間が見てくれる可能性も、少しはある。それに、私はさぶろうさんの妻だった女性が私を探してくだることを諦めていない。もちろんもう現実になる可能性は低い。例えば彼女が幸せな再婚をしてさぶろうさんの記憶を封印したいなら、私に出る幕はない。そもそも彼女が「いつか愛せる」を覚えているかどうかもわからない。

 それでも、可能性を少しだけふやす努力はしてみよう。ブログにさぶろうさんのことも書いた。個人を特定できる内容は省いたけれど、きっと彼女とさぶろうさんのご家族にはわかる。かつて私の本が何らかの方法で彼女の手に渡ったように、この文章も届きますように。

 どうして私はこんなに時間がたっても待っているのかな。義務感は薄いし人助けでもない。多分、私は彼女と友人になりたいのだと思う。かつて掲示板で自助をしたときの仲間のように、経験を共有して語り合いたい。しかも彼女は牧師と結婚したような人だ。私が長く取り組んだ「ゆるす」というテーマについても話せる。愚痴も言い合えるかも知れない。「ゆるすのって本当に苦しいよね」と。

 この文章が私にとっての「今だから話せること」なだけでなく、彼女の「今だから話せること」に繋がるのを夢見て書いた。

*1:ただし2016年に出版社の廃業により絶版。

*2:現在の私はクリスチャンを名乗っていない。でも神様のことは大好き。

*3:カトリックの聖職者は独身を貫く。プロテスタントの牧師は結婚して夫婦で働くことが多い。

*4:一般のクリスチャンでも、私にコンタクトされる際「離婚してしまった」とご自分を責めることが多かった。私が離婚しなかったのは私の手柄ではないのに「自分にはそれが出来なかった」と言われたことが何度かある。

*5:クリスチャンは自殺できない。