いつか愛せる

DVのその後のことなど

住人のいない夫の実家に泊まった日

 主治医と相談して義母の居場所を「積極的な治療を行わない療養型の病院」へ移すと決めた日の帰り、夫の実家に寄った。もう家の名義は変更済だけど、不動産屋さんに明け渡す月末まで猶予があった。まだ義両親の介護ベッドは返却していないし、必要な物を探す機会ばかり多かったので、散らかり放題。

泥棒が入った後のように雑然として、それでいて人が住んでいない空気の淀みや空っぽ感があるような。何とも言い難い雰囲気。

 夫は心身ともに状態が悪く、私は早く自宅に帰りたかった。なのに夫はまだ自分の服もあると言って2階に上がり、乱雑に2袋分の洋服をとった。私はハラハラし通し。

そして1階に戻ると、自分はもう動けないから私にひとりで帰れと言う。不穏な状態で置いて帰れるわけもなく断る。

「動けないならベッドで休んで」と言うと「腹が減った」と言う。夜の9時近かった。

冷蔵庫をのぞくと冷凍室に鳥のから揚げが入っていた。ジュースも残っていたのでいくらか栄養はとれた。

翌日も朝から仕事だけれど、私は夫と一緒に義実家に泊まる覚悟をした。夫が実家と一緒に死のうとしているようで、それを回避するより大事なことは無かった。

 

 夫の実家は我が家から徒歩30分程度だけれど、静かな川沿いにある。夏の夜は唯々虫の声だけが聞こえ、まるで田舎にいるような錯覚を起こす。

 かつてDVの渦中にあったころ、何度もこの家に泊めてもらったのを思い出した。私にとって、夫が荒れたときにタイムアウトする場所として最適だった。(本来は荒れる側がその場を離れるのがタイムアウトの定義だと思うけれど、私がやるしかなかった)

不安ながら私はその静けさに浸った。義母が家を売ることを嫌がった理由のひとつは、この静かな環境だったのかも知れない。

             

 私は義母のパジャマを借りてベッドへ。夫は義父のベッドに寝るのかと思えば、なぜか「床がいい」と言ってきかない。やつれた体で床に寝ては体がどう傷むかわからない。やむなくタオルケットや夏掛けを持ってきて敷いた。

ベッドの上の私とベッド脇の床の夫とで、夜中まで色々と話した。少し落ち着けたかも知れないと感じる。でも途中で夫がトイレに行こうとして転んで頭を打った。私は悲鳴をあげる。やはり不安で熟睡できなかった。

 私も夫も朝の4時ごろ目を覚ましているのに気づいたので「起きようか」ということになった。まだまだ暗い。これから家に帰れば十分に出勤できる。夫が自宅に帰る気になっているのがわかってホッとした。

 帰れると思うと私の頭はすぐ出勤モードに切り替わる。着替えて少し話して5時半ごろタクシーを呼んだ。私ひとりなら勿体無いから歩くけれど、夫は無理。

 無事に家に戻り、朝食を食べてシャワーをあびてもまだ7時ごろだった。夫が「起こしてやるから」というので、私は30分ほど仮眠をとってから出勤した。寝不足と疲れでいつも以上にふらふらだった。