いつか愛せる

DVのその後のことなど

職業人である前に当事者かも知れない

 J事務所の性加害報道が続く。報道番組のキャスターを務める所属タレントが、その件についてあまり語らないことで評判を落としているという。彼らの事情を外野は知る由もない。単に保身に失敗したという考え方も出来るけれど、私は気になることがある。

この件の報道について以前書いた記事は ↓ こちら。

 当然ながら、そのキャスターを務めるタレントも被害をうけていた可能性はある。そこまでは誰でも想像できるはず。そうであれば、当事者として語る羽目になるのでは?

 仮に「自分は被害を受けていない」と言えば、それはそれで追及が面倒なことになると思う。一方実害を認めて当事者がキャスターの立場で語るとしたら、どう語ることを要求されるだろう?

 該当の被害について、記憶の限りの日時、回数、具体的な行為とその感想、同様の被害を受けた仲間の名前、誰に相談しどう乗り越えたか、今後どうしていくつもりかetc. そういう話を要求される上に、更に微に入り細に入り突っ込まれると思う。

叩いている人は、わかっているのかな。それは二次加害というものなんだけど。

           

 何人かのタレントがすでに告白しているからと言って、誰もが同じ状況のわけではない。ひとりひとり心の状態は違うし、公にする際のリスクの大きさも種類も異なる。

妻子のいる人であれば、自分の被害経験を公にすることが我が子への苛めを引き起こすことも、十分考えられる。

何より本人が、被害を語ることで精神的なリスクを負う。彼らは一般人よりはメンタルが強いのかも知れないけれど、いくら演技力があっても果たして冷静でいられるのか。性虐待をうけた人は、思い出そうとしてぶっ倒れることも珍しくないのに。

私だって、回復についてなら書けるけど、暴力自体についてはもう書きたくない。ましてや性的な暴力のことなんて、思い出したくない。

 芸能人だと、そこまで要求されることも有名税になるのかな。非当事者で攻撃的な人たちは、少し想像力を働かせてくれないかな。

 

 う〜ん。私は彼らに何の恩義も損得関係も無いのに😔何を言いたいんだろ。

彼らが語らないのは無責任だからでなく、当事者として「語れない」のかも知れないこと。自身や家族や仲間までを引きずり込んで、プライベートを晒すことを強制される義務は無いだろうこと。

誰だって職業人である前に、まずは「人間」のはず。人間であることを否定してまで役割を押しつける人たちは、一体何者なの?🤔 と聞きたい。