いつか愛せる

DVのその後のことなど

ベルサイユのばら_エピソード編感想④

 感想の4回目はマリーアントワネットとブレゲの時計について。私は舶来時計に関心がないので名前も知らなかったが、調べてみた。

天才時計技師のブレゲは実在し、同時代を生きたマリーアントワネットが革命前から彼の時計を愛用していたのも史実。

そしてマリーアントワネットの名を冠した伝説の時計も現存している。ネジを巻かなくても永遠の時を刻み続ける最高の機能を備えた時計。

ただ漫画の中のようにアントワネットが直接発注したのではないらしい。仲介者だったのか、あるいはアントワネットの気を引こうとする者が発注したのか不明。ここまでが現実の話。

               

 ベルばら本編にはこの時計は登場せず、エピソード編で初めて知った。

裁判が終わればギロチンにかかるとわかっているアントワネットが、牢獄への差し入れとして希望したのが、下着と小物入れとブレゲの時計。

アントワネットは時計を手にして「 優しい音」と喜び、コチコチコチ···という音に耳を当てて「最後の時間をどれほど慰めてくれたことか」と言う。

 一読した時の私は「その感覚がわからん!」と思った。優しい音だと感じるのは好みの問題なのでいい。でも時計に慰められる感覚がピンと来ず、考えてみる。

 

 アントワネットは自分の寿命が残り少ないのを知っている。夫のルイ16世はすでにギロチンにかかっており、息子ルイ·シャルルは連れ去られた。(娘のマリーテレーズがこの時どうしていたかは描かれていない)

愛するフェルゼンにも二度と会えない覚悟をしている。ただ「歴史という偉大な裁判官にこたえるため」立派に死のうと思う。そんな孤独な境遇で時計に慰められる理由を想像する。

 

 まずその時点で、時計が孤独な自分とともに生きてくれる唯一の物だった。それに自分が眠っている間さえ休むことなく動いてくれる点は、まるで神様のようではないか。

そして時計は、自分の死後も動き続けるもの。アントワネットがブレゲに発注した永遠を刻む時計は、その時点では完成していないが。それでも。自分の名が歴史に残ることを、時計が動き続ける姿に重ねたのだと思う。

 誇り高く死に向かう自分を知り、自分の死後も生き続ける時計。だからその存在に安らぐのではないか。そしてそれは当時の頼りない品質の時計でなく、天才技師ブレゲの造る時計でなければならなかった。

きっとそんな感じだ、と一応納得した。

 

 ベルばらの外伝「黒衣の伯爵夫人」にもチラッと時計技師が登場する。美しく人間そっくりで、歩くことも出来る人形を造ったのが、高名な時計技師。

当時の技術への関心の高さゆえか。それとも池田理代子先生は時計好きなのかな?

 

 ところで。私が昔見た宝塚のベルばらpart3(フェルゼン:鳳蘭、アントワネット:初風淳)は、舞台ゆえ更にドラマチックだった。

ブレゲの時計と過ごしたであろう時期の、アントワネットのセリフ「私に残された仕事はただ立派に死ぬこと···死ぬことだけね」

 ところが、そこにアントワネットを逃亡させようと再び危険を冒して現れるのが、なんとフェルゼン(原作ではジャルジェ将軍=オスカルの父)

アントワネットはそれを断り、スポットライトの中、断頭台の階段を一歩一歩登ってゆく。

そしてフェルゼンの絶叫!!··· というエンディングだった。

 

 あ、思い出した。フェルゼンはアントワネットが子どものころ大切にしたステファンというお人形を手にして「王妃様ーーー!!!」と絶叫していた。

今となっては何だか突っ込みたくなるけれど、でも当時は大いに涙したっけ。