いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護と実家の話

仕事と介護の両立支援に関するガイドライン

昨日ビジネスケアラーの話題を書きましたが、会社でも偶然この情報に突き当りました。経済産業省のサイトです。 「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」 https://www.meti.go.jp/press/2023/03/20240326003/20240326003.html 経産省からガ…

ビジネスケアラーが増えているらしい

私もビジネスケアラーと言えるのかな。働きながら何年も義両親の介護に携わったし、自分の両親もそろそろ要介護に入ってきています。下の記事↓には共感できる部分がいっぱいでした。青文字が記事からの抜粋です。 https://news.yahoo.co.jp/articles/dc62a7e…

父との面会&母の誕生祝いの日

最後に父に会ったのはいつだったか、調べたら1年半も前でした。今いる施設に転院してから手紙や電話でしか関わっていません。 ◆面会制限の緩和 施設の1階で手洗い・うがいをすると、父のいるフロアまで行けました。制限は緩和されたものの面会は15分限定。…

久しぶりに父と会う予定

来週、かなり久しぶりに私の父に会いに行きます。父は今⚪︎⚪︎ケアセンターという病院と老人ホームの中間のような施設にいます。会うと言っても、コロナ禍以降いまだ面会時間は15分のみで一度に2人までです。あっという間に終わるでしょう。 (雪花草の花言葉…

漫画「お別れホスピタル」を少し読んで

ネットで途中までは無料で読める漫画で、ターミナル(終末期病棟)のお話を見つけました。実写ドラマ化もされているようです。「漫画 お別れホスピタル」で検索すれば見つかります。 これは義母が最後の3ヶ月ちょっとを過ごしたような場所だなと思いました…

介護目線でプレゼントを選ぶ

買い出しついでに母への誕生プレゼントを探してきました。母に聞いたリクエストは折り畳み傘で、いくつか条件も確認しました。 ◆プレゼントの探し方 地元のドンキ等には千円前後の物しか無く、自転車で少し足を伸ばしました。と言ってもダイエーや駅ナカのシ…

誕生プレゼントさえ終活につなげる母

今月は私の母の誕生月なので「欲しいものある?」と電話しました。ずっと元気だった母も、段々歩くことや自転車の運転が危うくなってきています。 ◆便りがないと 実は先月は母の方から電話が来ました。「ちっとも音沙汰ないけど大丈夫なの?」と。そんなに連…

振り返ったら恵まれていた

色々な人の介護話を読んでふと思いました。もしかして私が義両親の介護をした経験は、とても恵まれていたのではないか? もちろん苦労はしました。一歩間違えれば介護自滅で地獄を見たはずです。でも振り返ると嫌な記憶にはなっていません。 (プルメリアの…

チャーハンを食べて介護の難しさを思う

お昼に冷凍チャーハンを食べてふいに気付きました。義母の存命中、ヘルパーさんが使ったチャーハンはきっとこれだ! ◆義母の不満 当時、私は毎週末「お昼は何がいいですか?」と電話してから義実家に通っていました。昼食後はいろいろな雑務や片付けもしたけ…

土地から始まって地球の記憶に辿り着く

買い物に行く通り道、大きな家が取り壊されて更地になりました。広いなあ。2018年に夫の実家を売却のため更地にした時は「建物が無いとこんなに狭く見えるのか」と驚いたものですが。その4倍くらいありそうな広い土地がぽっかりと空いています。 以前は近所…

介護の中で決定や選択する責任のこと

前回の記事を書いたとき、もしまだ義両親の存命中に私がひとりになってしまっていたら、と想像した。その可能性も無いとは言えなかった。仮に私が未亡人だったら、夫の両親のお世話をする義務はないけれど私の性格では投げ出せなかったろうと思う。 現代は親…

義父の介護に関われなかった時期

介護の話の続きをしばらく書けなかったのは、義母が亡くなった後から翌2019年の記録がぐちゃぐちゃで読むのがキツいから。夫が2018年のクリスマス会の日に義父の入所施設に行って以来、私たちは何ヶ月も行っていない。行けなかった。↓この記事の続き この年…

実家の母と過去と将来と年の瀬

昨日は私の実家へ行ってきた。会社で集めた来年のカレンダーを、自転車の荷台からはみ出すほど積んで届ける。風邪が治りかけの母は、手も足も痛くて立ち上がる度に「どっこいしょ」とゆっくりゆっくり。常に元気だった母も、弱ってきたなあ。 ◆石油ストーブ…

寒さで思い出す計画停電と石油ストーブ

本格的に寒くなってまだ体が慣れない。この寒さで、3.11の後に経験した計画停電を思い出した。輪番停電とも呼ばれたっけ。 ◆計画(輪番)停電 電力節約のため、区域を分けて1日に2時間ずつ順番に強制停電。私は地域の停電が2時間も続いた経験は初めて。駅…

義父の誕生日も義母の命日も忘れる

昨日は亡くなった義父の誕生日だった。買物の途中で「もうすぐ命日だからお花を買って帰ろうかな」と思い出した。でもすでに当日なのにまだ先だと勘違い。さらに買おうと思ったお花も買い忘れた。「考えることがあり過ぎだわ」と自分に言い訳。小さなボケも…

近しい人が去った喪失感

長らく介護関連の記事を書いていないけれど、時々は書く予定。先日、夫と義両親のことを話した。 きっかけはGS(グループサウンズ)の曲を聞いたこと。流行ったのは昭和40年代だろうか。私もリアルタイムでは記憶になく、最近になって夫に聞かされている。 …

母は終活に熱心

先日の鎌倉旅行のお土産を持って、久しぶりに自分の実家へ行った。父は入院していて弟は仕事で、いるのは母だけ。かつて義母が「ご両親が元気なうちにたくさん会いにいってあげてね」と言ってくれたことを思い出す。 なんとなく「お義母さん、今日は自分の実…

母と義母と、旅行と帰郷と最後の対面

自分が新婚旅行以来31年ぶりの夫婦旅をしたことで、親世代の外泊や帰省を考えた。 私の母は出身地が遠くても毎年帰郷したし、子育てが終わってからは友人との旅行や外出もする。ただし夕飯を作る時間には急いで帰宅した。食事の支度は誰でも出来るからゆっく…

親戚中でただひとり

介護の話の続きを書こうとしたけれど、その時期の記録がグチャグチャで気が滅入る。今回は義父の家系の話を書こうと思う。 義父は10人兄弟だったらしい。なぜか家庭運の極端に薄い兄弟だった。その10人兄弟の次の世代では、同じ苗字を名乗る男子はたったひと…

義母が亡くなったことを伝えた

少し久しぶりに介護の話の続き。義母の火葬が済んで以降、夫は不調が続いた。精神的にも不安定だし再飲酒もしていた。義母の最後の時に間に合わなかったことが、かなり尾を引いていた。前回のお話はこちら↓ ところが平日のある日、急に動き出した。2018年の1…

役割から解放される寂しさ

いつものスーパーでレジ待ちの行列に並び、ふと目の前のペットフードのコーナーに目がいった。義実家の愛猫ノンちゃんが生きていたころ、ここでもよく買った。大袋のカリカリと、レトルトのウエットタイプと、削り節も。あとトイレ用の砂も。 あ、ノンちゃん…

義母からのメガネと香水の思い出

視力の低下が激しい。ううん、老眼が進んだと言うべきか。仕事用のメガネ(近距離と中距離に対応)をかけてもパソコン作業が辛い。 そう言えば、これは私が初めて作ったメガネ。それまでは読書する時だけ100均で買ったメガネを利用。そんな私に「ちゃんと…

義父の通院と施設への感謝

介護の話の続きを書くのがまた難しくなっている。介護以外の問題で当時の日記がグチャグチャだから でも義父を送るところまでは書く。 (前回の話はこちら)↓ 義父の入所施設から連絡あり。要介護の区分変更のための調査があったが、その日は妙に義父の具合…

義母の火葬後も予定は山積み

義母の火葬(2018年11月21日)から2週間後の記録。平日しか出来ない用事をこなすため、休みをとった日はスケジュールが山盛り。その日の予定は、 ①義父の入所施設へ(介護計画書の確認etc.+義父に誕生プレゼントを渡す) ②義父の通院(壊死した足の指の診…

未支給年金の請求がやたら難しかった話

身内が亡くなった後の手続きは山ほどあり、ネットで検索すると一覧も見つかる。でも私が一番苦労したのは年金の手続き。日本の縦割り行政の不便さよ 簡単に言うと「受給権者死亡届」と同時に「未支給年金·未支払給付金請求書」を提出するだけ。未支給分の年…

義母が亡くなったことは秘密

義母の火葬(2018年11月21日)から3日後の24日土曜日、私は義父が入居している施設へひとりで冬服を持って行った。夫は事切れたかのように鬱っぽくなり、また動けなくなってしまったから。 入所から3ヶ月が経ち、義父は相変わらずベッドで寝ている。でも顔…

義母の小さなお葬式

介護の話が久しぶりになってしまったけれど、小さなお葬式を行ったの日のこと。前回の話はこちら↓ 夫が何とか動けそうで助かったけれど、お腹の調子が心配なので食べずに行くという。私は朝のうちに業者さんに支払う費用を出金に行った。義母の口座にはまだ…

義母が亡くなった日(その②)

まだ義母の魂は近くにいるのではないかと思い、私も夫も霊安室で義母の遺体に何度も話しかけた。貴重な「お別れの時間」だったと思う。 葬儀業者が迎えに来て病院を出れば、もうここに戻ることはない。だからすぐに義母の荷物は全部引き払う。ついさっきまで…

義母が亡くなった日(その①)

お盆が近づいたけれど、我が家はイベント的なことはしない。ただ、思い出して祈ることはするかな。義母が亡くなった日のことを、記憶だけで昨年の命日に書いた記事がこちら。 上記の記事では細かい時間が違うし、夫の状態が少し安定していたというのも勘違い…

義母が亡くなる直前のころ

義両親はほぼ同じ時期に要介護状態になった。認定されたのは2015年ごろだったろうか。義父は緩やかな認知機能の衰えから始まり、義母は肉体の不具合から始まった(義母はギリギリまで頭はしっかりしていた) 最後のころは居場所も別々になってしまったので、…