いつか愛せる

DVのその後のことなど

亡くなった叔母に思いを馳せた

 お盆という季節のせいか夏休みの思い出だからか、すでに他界した父方の伯母夫妻を思い出しました。

◆可愛がられた記憶 夏休みには、私一人でお泊りさせてもらいました。毎朝一緒に飼っている犬の散歩をし、日中は遊園地やプールに連れて行ってくれました。伯母夫婦には子どもがなかったので、私を我が子のように思ってくれたのでしょう。特に伯父は「16歳になったらおじさんのお嫁さんになりな」と言うくらい、猫かわいがりでした。(今はこういう書き方をすると変に誤解されそうですが、単なる子ども好きだと思います)

◆養子に望まれた おとなになってから母が話してくれました。実は、伯母夫妻から私を「養女にほしい」と言われたことがあったとか。私が8歳のとき弟が生まれた後のことだったそうです。当時の感覚では「跡取りができた」ということで、女の子をもらってもいいと考えたのかな。昔は親族間の養子縁組も珍しくなかったようです。もちろん両親は断りその話は消えました。私は伯母夫妻のことは好きですが、ちょっと複雑な気分になりました。いくら馴染みのある家でも、養女に出されたら実の両親に捨てられたと感じてしまったろうと思います。

           

◆伯母の気持ちを想像する 今回考えたのは、伯母の思いです。一度は妊娠したものの、流産して子どもができなくなってしまったとか。子どもを望む人にはひどく辛い経験でしょう。しかもその時期、他の兄弟(私から見ると伯父や伯母)には次々に子どもが生まれています。私には4歳年上の男の従妹が3人いますが、本当は4人いたはずでした。伯母は自分は子を持てない中、身近に3人の同い年の男の子を見ていたわけです。寂しく肩身のせまい思いもしたのではないでしょうか。

◆養子を望んだ理由 そう考えると、養女の話の印象も少し変わりました。伯父が無邪気に私に「16歳になったらお嫁さんに」と言った時、私は子どもながらも、いえ子どもだから真に受けて「そうしたら伯母さんはどうなるの?」と思いました。そのときの伯母の気持ちはどんなものだったか。幼い私に嫉妬するとは思えませんから、夫がそんなに子どもが好きならと、伯父のために私を迎えたいと思ったのかも知れません。

◆もし縁組していたら 軽い気持ちで、伯母夫婦の養女になった場合を想像してみました。母によると、私は「大人しくて(弟に比べて)非常に育てやすかった」らしいので、それも養女に望まれた理由だったかも知れません。幼いうちは、伯父に懐いてお父さん子になった可能性もあります。私の見た目は伯母によく似ているので、傍目にはすんなり親子に見えたでしょう。それでも思春期以降はやはり距離ができて「何を考えているのか」と思われたのではないでしょうか。

◆晩年の伯母 後に、東北に住んでいる伯父の実母が要介護状態になり、伯母夫妻は伯父の実家へ引っ越して行きました。遠方について行った伯母の苦労は想像に難くありません。誰ひとり知り合いも無い土地での同居。恐らく義母には「跡取りを生まなかった」ことで愚痴のひとつも言われたのではないか。伯母の晩年には滅多に会えなくなっていましたが、私の母は密かに伯母を「愚痴っぽくなった」と評していました。

 もし子どもがいたら、伯母は愚痴っぽくならずに済んだのだろうか? 最晩年の伯母は、伯父に先立たれてひとり暮らしでした。愚痴を言う相手もなく寂しかったのかも知れません。今年は姪の立場からだけでなく、伯母をひとりの女性として思いを馳せました。