いつか愛せる

DVのその後のことなど

再びクリスチャンの離婚を考えた

 かなり前にUPしたのに、時々だけど繰り返しアクセスのある記事がこれ。検索サイトからのアクセスが多いということは、そういう情報を探している人がいるということかな。

 

 日本人の約3組に1組が離婚していると聞くけれど、クリスチャンに絞ればもうちょっと少ない可能性はある。聖書にこんな風に書かれているから。

マラキ書2章16節 「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、主は仰せられる。

             

 それでも当然ながら離婚するカップルはいる。妻側のみクリスチャンのカップル率が高い気がする。出来れば離婚しない方が良いのは当然。でも、精神あるいは肉体の殺人に発展するくらいなら、別れる方がはるかにマシだと私は思う。

もし「いかなる理由があっても別れるべきではない」と言うクリスチャンがいるなら、どういう信仰によるものか聞いてみたい。

 私が知った範囲では、クリスチャンになってから離婚した人(さらに再婚する人)は教会内で肩身が狭い。時にはこっそり非難されたり、リーダー的な役割が与えられなかったりする。ただ宗派や個別の教会にもよるだろうし、今は教会にも多様性の波が来て変化しているかも知れない。

 離婚や再婚の是非について、私は明確な意見は持っていない。ただ「そういう人を咎めるな」とは言いたい。結婚を継続できなかった原因も悔い改めも、本人と神様の間で解決することだから、求められていないなら他者が口をはさむのは傲慢。

牧師や神父という立場の方であっても同様。どんな事情があるのか、外からは絶対にわからない。そもそも牧師夫妻の間にもDVや離婚は存在するし、独身を貫くカトリックの聖職者による子どもへの性虐待は、海外で何度もニュースになった。指導者であろうと仕える立場であろうと、彼らも私と同じく人間であることは間違いない。

 

 ここまで書いてちょっと緊張。未熟な人間が偉そうなこと言っちゃったかな💦。でも私は少なくとも10年以上、とことん真面目に教会に通ったし聖書も読んだ。その世界を少しは知っていると考えていいよね。

そしてたまたまDVにあっても離婚しなかったから「自分の離婚を正当化するな」と突っ込まれることもない。そう、何の忖度もない。だから私はこういうことを書いても非難されにくい立場にある。😓怯むな。

 でも、私はどれも本当に「たまたま」なだけ。DVを経て生きていられることも、別れなかったことも。もちろん必死の努力はしたけれど、努力が報われるかどうかは運としか言いようがないから。

実は相性が良くないのかも知れない相手と、結婚を維持したり発展させる難しさを私は知っている。だから声を大にして言う。

離婚した人を(少なくとも離婚だけを理由にして)咎めるな。そんなことすると、きっとイエス様に「兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。自分の目の中の梁を取り除きなさい」って🤨言われるよ。