いつか愛せる

DVのその後のことなど

500名の人に見つめられた経験

 10年以上前のことです。一度だけ、私にとってはすごい経験をさせていただきました。某短大で約500名の全校生徒と教員の方々を前に、DVについて自身の経験や考えをお話したのです。奇跡としか言いようがありません。

              

◆奇跡のきっかけ 教育者ではなく何の専門家でもない無名の一般人に、そんな依頼をいただいたことでまずびっくりです。ミッション系の学校だからかも知れません。当時はそこに在籍している友人があり、私の著書を先生に紹介してくれたのがきっかけです。実は友人には「可能なら女性学の先生に渡してほしい」と文庫版を1冊預けていましたが、まさかそう来るとは。ありがたいことです。

◆テーマを決める 早めに慎重に準備しました。生徒さんは全員若い女性なので、まず「デートDV」を考えました。結婚前のカップル間の暴力のことです。(結婚してないならドメスティックじゃないでしょ、というツッコミは置いておきます)

参考のためデートDVの本は読みましたが、私は自分の言葉を伝えます。タイトルを「愛って何だろう?」と決めました。愛がわかれば、暴力は愛からは出て来ないとわかります。恋人がいるなら相手との関係を見つめ直してほしい。それはDVの予防にもなると考えました。ミッション系の学校なら愛について聞く機会は多いでしょうし、受け入れやすいテーマかなと思います。

◆DVの解釈 まず一般的に言われる「DVとは?」の説明や、暴力の種類の説明をしました。殴る蹴るだけが暴力だと考える人もありますから。(「政府系のサイトにすら確定的なDVの定義はありません」と言ったら、生徒さんたちから「えぇ~?!」と声があがりました)

次に私の考える「DV=支配関係」の説明や実例をお話しました。保育科のある学校でしたから、暴力の連鎖にもふれました。DVは親子関係にも影響することを知っておけば、保育士さんの立場からDVを見抜けるかも知れません。

◆愛を考える 次に「愛」とはどういうものかを、もちろん聖書から引用しました。そして今ある関係が愛によるものでないなら、その関係を変えるおすすめをしました。離れることも関係を変える方法の1つであること、別れは相手が変わるきっかけになる可能性もあり、罪悪感を感じる必要はないこと。暴力をふるう相手を変えようとは思わないこと。同時に暴力をふるわれている友人を変えようとはしないで寄り添ってほしいことなど、共依存の観点から話しました。

◆不慣れでもやる こんな風に書くとまるで話し慣れているように聞こえそうですが、とんでもないです。私はあがり症でフリートークなどまったくできません。けれどたまたま原稿を音読することは訓練した経験がありました。事前に原稿を完成させ、当日は生徒さんたちと原稿を交互に見ながら、話し口調で読んだだけです。経験上、緊張で足はふるえても声は根性とテクニックで出せます。自分の経験の部分を話す際は、感情的に込み上げる瞬間がありました。でも仮に涙が出ても、そういうものだと思ってもらってかまわないと決めて臨みました。

◆伝わった感触 当日は無我夢中と言うか現実感が希薄というか、講壇からの景色は演劇部だったおかげで少し見慣れていて助かりました。後ろの方の席で友人も見ていてくれるはずだし、生徒さんもしっかり聞いて反応してくれました。(若さって素直ですばらしい!)話し終わってから、全員に目を閉じていただき「DVの当事者の方はいらっしゃいますか」と質問してみました。思った以上の生徒さんが正直に手をあげてくれました。

司会の方の挨拶や讃美歌の演奏も含めて全部で1時間程度、無事に終えることがでました。

 その時のことを前にも少し書いた記事があります。ご紹介いただく際、私には肩書きがなくて「いいのかしら」と迷ったのです。だってそれでは「この人は何者?」と思いますよね・・・この記事の後半に書いてあります。 

 

 当日のために作った原稿をUPしようと思ったのですが、引越しの際にパソコンが壊れてお無くなりに😢なっていました。学校の冊子に載せるために作った短縮版はあるはずなので、探して明日にでもUPします。