いつか愛せる

DVのその後のことなど

論文から共依存③「愛の関係性」?

 昨日の記事は書いている途中で息切れしてしまったので、本日続きにチャレンジ。初めてお読みくださる方は是非、10月10日の記事からどうぞ。

昨日はこう書いた。↓

 論文では私が守ろうとしたものを「愛の関係性」と表現してくださった。確かにそれは私にとって非常に大切なもの。ただし私が回復に向かう際に見つめたことは、すべて自分の内面。私が回復したい、愛を持ちたい。初めてそういう意志を持った。私のそういった変化が、夫の変化のきっかけになった可能性はある(夫自身のことなので私には断定できない)。だから別れる·別れないは、私にとっては結果論。たまたま別れずに済んだだけ。

 

 自分の内面に目を向けることは、共依存に関する本などで学んだ。共依存者は自分のことは捨てておいて相手の世話を焼くのが特徴。私の場合は夫との生活で強制的にそうさせられてしまった感が強い。元々あまり自己主張はしない性質だけれど。

 同時にIメッセージ(主語を”私”にする話し方。ご興味のある方は是非検索を)も覚えて実行した。自分がどうしたいのかはっきり出来て効果的。それは夫にも影響したと思う。「普通は~だよ」「どうして~しないの」といった言い回しを、夫は嫌う。というよりまったく話を聞かない。「私は~だ」と言い続けると、初めて少し耳を傾けるようになった。

 昨日は「私が回復したい。愛を持ちたいという意志を持った」と書いたけれど、もっと🤨強烈だったかな。まずは「私は暴力をうけたくない」というこの上なく強い思いに気付き、「もう暴力をうけない!」と自分に誓った。表面的に何も変わらなくてもこの差は大きい。言葉には力がある。

 私の状態はそんな感じだったわけで、小西真理子さんが論文に書かれたこと↓

彼女が守ろうとした、あるいは築き上げたいと切に願った「愛の関係性」が、彼女の共依存経験の中核にあることを示唆しているように思われる。

という部分が、まだピンと来ない。私はDVの只中にあった時には感情も意思も殺していたし、回復に向かった時にはひたすら自分の感情と意志を取り戻そうとした。だから回復中は夫には目を向けていなかった。再び書くけれど、当時の私の優先順位は自分の回復が一番で、関係性についてはその次。

 何となくひらめいた😀。私は夫と離れる(≒離婚する)覚悟はしていたけれど、自分の中には再び一緒になる余地を残していた。病んでしまった自分も夫も回復できたなら、その時に考えようと思った。通常のDV離婚なら、二度と会いたくない人が多いはず。私の中のその余地を「関係性」と捉えたのかな?・・・・そのうちまた考えよう。

             

 昨日貼り付けた青い薔薇の花言葉は「夢かなう」とか「奇跡」だけれど、以前は「不可能」という花言葉だった。それは自然の法則では青い薔薇はありえなかったから。科学技術の発達で青い薔薇が誕生したことから「奇跡」という花言葉に変化したそう。

私が今も夫とともにいることも過去は「不可能」と言われた「奇跡」なので、ちょうどいい選択だと思う😊(そして私は単なるベルばらオタの薔薇好き)