いつか愛せる

DVのその後のことなど

論文から共依存②私が守ったもの?

「共依存」再考―フェミニズムによる批判の検討―という論文に取り上げてくださったうちの最後の6行、私の過去についての解釈を、私自身が考える。

論文からの引用が青文字(若干ですがDV時代のことも書いたので当事者の方が読む際にはご注意ください。共依存を自覚されている方には参考になると思います。ただ、今回の記事は重いです😅)

彼女は、客観視すれば完全に否定的で救いようがなく、別れるのが最善の方法にしかみえないような関係性のなかで、何か大切なものを守ろうとしていたのである。『いつか愛せる』という著書のタイトルは、彼女が守ろうとした、あるいは築き上げたいと切に願った「愛の関係性」が、彼女の共依存経験の中核にあることを示唆しているように思われる。

 過去、別れるのが最善にしか見えなかっただろうことは、私も認める。きれいごとでないリアルなことも書くと、私が一度家出して戻ってからは、今度逃げたらどうなるかと脅されたので、別れるどころでなくなった。あのころの私がそこで「何か大切なものを守ろうとしていた」のかなと考える。

 私が別れなかったことに着目されているけれど、実は私は回復の道を歩み始めたころには、離婚を恐れることをやめた。自著にはこんな風に書いている。

「彼と別れて誰かと再婚しようとか、そんなことを考える余裕はない。私は自分の面倒を見ることで精一杯だ。」

「一生ひとりでいることもできれば、彼を待っていることもできる。そんな強さを持とうと思った。」(いずれも70ページ)

 その時点の私が考えたのは、自分も夫も回復しなくてはならないということ。一緒にいて病んで共倒れになるくらいなら離れよう。私はアルコール依存症者になった夫に脅され嫌々だったとは言え、何年も家でゴロゴロと飲酒し荒れる環境を提供し続けた。一緒にいながらその世話をやめることはとても危険。相手を追い詰めればどう弾けるかわからず、ある意味で命懸けだった。

 私の中では、別れる・別れないが目的ではなくて、双方が回復することが目的になった。離れた後に再び一緒になるかどうかは、回復した後に考えればいい・・・文章に出来るほど明確ではなかったけれど、そう考えて行動したと思う。混乱した頭も、極端に追い詰められるとシンプルになるものなのかな?

あのころの私が何かを守ろうとしていたとすれば、それぞれの命、だと思う。肉体と精神の命と両方。自分のためにも夫のためにも、命の危険に向かう生活をやめなくてはと思った。優先順位は命が一番で、関係の改善は二番目。

 タイトル「いつか愛せる」の意味はひとつではないけれど。一番は、私が本当に愛せる人間になりたい、ということ。「愛」の定義を私は聖書に見た。好きと言う感情ではない、執着や依存でもない、神様のように強さもある無償の愛。私が本物の愛をもつ人間なら、どう脅されても負けなかったのではないか。アルコールを提供し続ける(←事象の例であって、家族を駄目な状態にしておくという意味)ことを、最初から拒否できたのではと思う。例えば、破滅の道を進む我が子を、命がけで阻止する親御さんのように。

 心が健全でなければ愛せない(未熟な愛も存在するとは思うけれど)ので、回復することと愛せることは同列にある。愛する相手として最も適任なのは自分の伴侶。身近なひとりを本当に愛せたなら、他の人間のことも愛せると考えた。

なぜ私が愛せるようになりたいかと言うと、愛する存在がある人は幸せだと思うから。私は幸せになりたいから、愛したい。(もし相手から愛されれば更に幸せ)

 この辺りは、著書のあとがき代わりの祈りにも少し書いた。一方あまり自覚がなかった意味もある。原稿を出版社に持ち込んだ時の仮のタイトルは「もう暴力はうけない」だった。当時の私にとってこれほど強い気持ちは他に無かった。けれど編集作業を続けるうちに、「もう暴力はうけない」から「私は愛したい」となり「いつか愛せる」へと思いが動いた。暴力への(あるいは夫への)強い反発や怒りや恨み憎しみがまだあったからこそのタイトル。(青い薔薇の花言葉は「夢かなう」)

            

 論文では私が守ろうとしたものを「愛の関係性」と表現してくださった。確かにそれは私にとって非常に大切なもの。ただし私が回復に向かう際に見つめたことは、すべて自分の内面。私が回復したい、愛を持ちたい。初めてそういう意志を持った。私のそういった変化が、夫の変化のきっかけになった可能性はある(夫自身のことなので私には断定できない)。だから別れる・別れないは、私にとっては結果論。たまたま別れずに済んだだけ。

(中途ですが本日はこの辺まで。20年前の掲示板によく書いていたことで、すご~く伝えたかった内容。読んでくださりありがとうございます。& お疲れ様です💦)