論文(10年前のものだけど)の内容を理解するためにも、要点をまとめてみる。ズレがあったらご免なさい💦
論文のタイトルは「共依存」再考―フェミニズムによる批判の検討―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinrigakukenkyu/45/0/45_123/_pdf/-char/ja
上記論文はこの記事でご紹介したもの。↓
以下、色文字は私のツッコミ。内容はアカデミック🤓。読み手の私は素人😅。
- 1970年代にセラピストが気付く。アルコール依存症者の周囲には、飲酒を続けさせることを助ける行為に没頭する人間がいる。著しく自尊感情が低く、他者から必要とされることで自らの存在意義を見出し、依存されることに依存する人。(そうそう。私はこの部分に当てはまらないので、共依存を自覚する前にまず反発した)。共依存概念は、女性に不当な責任を押し付ける概念としてフェミニストに批判された。共依存論を再考することがこの論文の狙い。
- 共依存概念は、男性の暴力を責めることなく妻の病理を指摘し治療対象として扱うため、ラディカルフェミニストに批判される。(この批判の意味はよくわかる)
- 共依存の特徴を女性の特徴の一部と捉え直したフェミニスト心理学者にも、共依存概念は批判される。
- 共依存というラベルは苦しみから解放する効果を持つため、必ずしもネガティブではない。ただし共依存には、弱者を助ける人間の正しさを隠れ蓑にした支配が紛れ込む可能性あり。関係性の病理の構造を捉えた概念が共依存。
- 前述の批判により、DV被害者に共依存という語を用いてはいけないとされた。だが共依存と言われる関係性の中にも、肯定的な要素が内在する可能性あり。(この章で私の著書からの引用と言及あり)
- ほとんどの依存症研究は「回復」を導くものが「治療」だと捉える。けれど逆に「依存症が人を救う」自己治療仮説も存在する。
- 共依存関係は破滅的でそこに存在するのは「偽の愛」であり、いかなる肯定性も認めない議論が多い。しかし見逃される傾向にあった肯定性の探究を進めたい。
(ブルーベリーの花言葉は「知性」「実りのある人生」)
少しだけ理解できた😀。執筆者の小西さんは、フェミニストには批判されている共依存概念を、肯定的に考える。だから、共依存概念を回復に利用した私の経験を引用した・・・と思っていいかな。DV関係において「絶対に分離しかない」という一般論とは意見が違う点も、私と共通する。
ただ、引用してくださった部分の解釈に同意かと言うとちょっと違う。私は自分が回復するために共依存概念を利用しただけで、共依存関係の肯定性は考えたことがない。つまり、今のところはかつての私と夫の関係に良い点があったとは思っていない。ということは、もしかして小西さんは暴力の無くなった今も、私たちが共依存関係にあるとお考えなのかな?
引用と解釈を21行書いてくださったうち、最後の6行が以下↓
彼女は、客観視すれば完全に否定的で救いようがなく、別れるのが最善の方法にしかみえないような関係性のなかで、何か大切なものを守ろうとしていたのである。『いつか愛せる』という著書のタイトルは、彼女が守ろうとした、あるいは築き上げたいと切に願った「愛の関係性」が、彼女の共依存経験の中核にあることを示唆しているように思われる。
そ、そ、そうですか・・・
書いた本人より深いことをおっしゃっている気がする😅 まずはこの部分について深掘りして少しずつ書こうと思う。本人の認識より、第三者の客観的な解釈が正しい場合だってある。あるいは、実は私と同じことを言っているのに表現が異なるだけかも知れない。