いつか愛せる

DVのその後のことなど

とにかく書かなきゃ本にならない

 漠然と「本の続きを出したい」と言っても、原稿はまだ出来ていない。ブログに下書きのような文章を80本以上UPしただけ。

でもおかげで書きたい事がはっきりして、当初考えていたより盛りだくさんになってきた。やっぱり私は、頭の中だけでは理論や文章の組み立てが出来ない😓(←小学生のころから展開図が苦手)。アウトプットしながら、自分が書いた文章を読みつつ考え進めるタイプ。だからすご~く遅筆。

でも人生は有限なので、もう少し急がなくては。私が本に書きたいことは何か、ちょっと整理した。大きく3つに分けられる気がする。

             

 1つ目は、ブログの初期のころに載せた。私がDVからの回復中につかんだ発想、考え方、実践したことなど、当事者の参考にしてほしいこと。

ブログの「DVからの回復」のカテゴリーを開けば「ありふれた大きな不幸」とか「人を否定することが嫌い」とか「人生の棚卸」「記憶の上書き」「自助グループ」等々。文章が下手くそで読みにくいけれど、かなりの項目を書き終えた。

ただこの内容には、DVの渦中の人に読んでいただきたいことと、脱出後に読んでいただきたいことが混じっている。渦中の方が読むと混乱したり、責められているように感じたり怖くて読めなくなる可能性もある。でも今それを考えると私が混乱するので、取り合えず進める。

 2つ目は、最近見つけた論文で自覚した。やはり私は共依存の概念に助けられたので、そこを追及したい。専門家の間でも意見が分かれるこの概念を、素人にどう書けるのかなあ。でも悩まなくていいかな。私は自分の経験を書くだけだから、過去の研究もフェミニズムの知識も関係ない。ちょっとだけ勉強はするけどあとはただ書けばいい。

共依存にふれておくと、専門家にも読んでもらえるらしいと知った。20年前と違って、共依存の概念を介護に応用する経験もした。人生の色々な場面で役に立つとわかった。

 3つ目は、元々書く気でいながらまだ少ししか書けていない。「ゆるすこと」について。ゆるすは平仮名にして、漢字の「赦す」でも「許す」でもないのは、まだ私の中でも曖昧だから。

ゆるしを書きにくい理由のひとつは、自分のメンタルに少し負荷がかかること。説明のためにはどうしても、ゆるす前のドロドロの部分を書かなくてはならない。私が書くのは「論」ではなく「経験」だから。

現実を書くことによって、ゆるすことに対する2通りの偏見を持つ人々に訴えたい。上から目線で「ゆるしなさい」と言う人には、それがどれだけ無茶で困難かを伝えたいし。

逆に「ゆるすことなどファンタジーだ」とゆるしを否定する説には、ゆるすのは美しいファンタジーではなくドロドロのリアルだよと言いたい。

 そして書きにくい理由のもうひとつは、当事者を傷つける😨不安があるから。恐らくDV経験者に限らず、「ゆるす」という言葉だけでも拒絶反応を起こす人があると思う。無理強いをされて傷ついた人は少なくないはず。あくまでも私の事例であって、押し付ける気はないとわかっていただけるように書きたい。それが難しい。

 時間的な目標を立てよう。遅筆な私には少々無茶に思えるけれど、お正月休みが終わるまでに下書きだけは書き終えること。下手くそでもとにかく原稿が無いと、誰の目にもとまらないし何も進まないよね。