いつか愛せる

DVのその後のことなど

犯罪ではなくある家族の物語を発掘した記者のお話

 6月に公開予定の実話を元にした映画に関する記事です。記事のタイトル「悪を断罪し続けた記者が救われた・・・」というフレーズにひかれてクリックしました。そしてジャーナリストである著者が「こんな物語を発掘するために自分は生きているのかもしれない」と言う理由に、たくさん共感しました。

悪を断罪し続けた記者が「救われた物語」 映画「ディア·ファミリー」原作秘話

https://news.yahoo.co.jp/articles/261670913426346abdba0f91ad50ef95b5d25ee6

(以下、青文字が引用で黒文字が私の感想です)

<この新聞に悲しいニュースは一行もありません>とうたって、中部読売発行の新聞の第三社会面に、挫折から再起する人々の物語や胸に残る人生転機の手紙、心に響いた言葉などを紹介し始めていたのだった。

 その新聞を読みたかったです。テレビで見るニュースが哀しみや不安や怒りを引き起こすものばかりになったことは、我が家がテレビを手放す大きな理由のひとつでした。私は人が変化するのを見るのが好きで、特に「挫折から再起する人々」のお話は大好物? です。ダイエットやリフォームのビフォーアフター写真でさえ、良い方に変化したならワクワクします。

 

『幸せの新聞』を創刊したころ、日本の失業率は過去最悪に向かっていた。私は「試練を前向きにとらえ、明るく生き抜く知恵が新聞に求められている」と編集局長や部下には説明していたが、心の片隅では、切った張ったの社会部記者では終わりたくない、大げさに言えば、記者として他人の非や過ち、澱みのようなものを一方的に切ってきた過去に対する免罪符を得たいと思っていたのだ。

 著者も変化したのですね。「死と不幸と異変のニュースを書き続け」たのは、仕事として意義を感じたからでしょう。でもその過去を免罪されたくなるほど意識が変わりました。新聞やテレビのように大きなメディアは社会に影響を与えますから、世の中を暗くしている責任を感じたかもしれません。我が家がテレビを手放した理由もわかっていただけそうです。

そして私は、変化の理由をもうひとつ想像します。他人の非や過ちを断罪して書き続けるうち、自身の非や過ちを自覚されたのではないでしょうか。そうなると自分には他者を断罪する資格などないと思うはずです。私はむしろその部分にひかれました。

 

 それに、この話があまりに純粋過ぎて、踏み込めない何かを抱えているような気もした。何よりも夭折した佳美さんの短い青春と人間像に迫ることができなかった。その間に筒井さん家族の物語は、テレビドラマや番組などにも取り上げられたが、やはり私の疑問に答えてくれるものはなかった。

書籍や映画になったご家族のストーリーは、リンク先にも書かれていますので是非ご覧ください。私も「ブログ記事にしたいけど簡単には言及できない」と心をゆさぶられました。このジャーナリストが「踏み込めない何か」を感じた点は、下記にあらわれていると思います。

<念願の製品ができた一年後、佳美が二十三歳になった時、体調を崩した。一か八かの手術も不調に終わった。最後の夜、佳美の大好きなクリスマスの賛美歌を歌いながら、心電図の波が消えるまで見送った。

「あの子は自分が助からなくても、救われる人がたくさんいることを喜んでいるだろう」。筒井はそう信じて、今も製品の改良を重ねている>

 この箇所で私は「このご家族はクリスチャンかな」と感じ、他の記事で少なくともお母さんが信仰を持っている記述を見つけて納得しました。私自身はもう10年くらい前から教会と無縁ですし宗教に関心はありません。ただし神様は大好きです。

過去には教会で、このご家族のように信じがたいほどの悲しみと強さと希望の混在した話をいくつも見聞きしました。その経験には感謝していますし、自分も強さと希望のある生き方をしたいと憧れます。ですのでこのご家族のストーリーに圧倒されはするけれど、著者が疑問に思ったほどに不思議さを感じません。

 その疑問に著者はどんな答えを見出したのか、本には書かれているかもしれません。図書館にあれば読んでみようと思います。映画はどうでしょうか。公式サイトを見た限りではわかりにくいです。もし「元々すばらしい心を持った家族がすばらしい生き方をした」ような描かれ方だったら、少し残念だと思います。「愛の実話」と書かれていますので、その愛や強さや希望がなぜそこにあったかを描かれているとうれしいです。

 原作を書いたジャーナリストを始め、このストーリーを「世に出したい」と動いた人たちも、それを知りたいと望んでいらっしゃるだろうと思いました。