いつか愛せる

DVのその後のことなど

「歪な愛の倫理」の感想 その①

 「歪な愛の倫理」を読み返して感想を少しずつ書こうと思う。私は一読では咀嚼しきれない。だってこれ、哲学の範疇だよね。でもかなり心惹かれている♡

 

自分の著書の引用に関しては言いたいこともいくつかあるけど、そんなことはどうでもいい。きっと読み返せば納得できる。

 私が惹かれたことは、全体に及ぶけれど主に「第6章 介入と治療からの自由」に書かれている。何だか皮肉なタイトルかも知れない。だってこの本は多くの支援者や治療者にも向けられているはずなのに「介入と治療からの自由」とは、放っておけと言うのに近い。現実に当人を傷つけるだけの介入や治療(にもならない医療行為?)が多すぎるからだよね。

 まだ漠然としか掴めないけれど。著者の小西さんはどこまでも当人を尊重する人だと思った。絶対に「自分が正しい」という思考で人を見ない。自分を正しいとする人は、他者を傷つけるよね。相手が弱者(子どもでも被虐待者でも障がい者やお年寄りでも)の場合、その悲劇がとても起きやすい。

 ああそうか。私は何度も「人を否定する(される)のが嫌い」「決めつけられることが嫌い」と書いてきたけれど、そこに繋がるから惹かれるんだわ。

私も自分が正しいと考えてしまったことは山ほどある。例えば、過去アルコール依存症だった夫に「酒をやめさせること」が正しいと思った。そう考えずにいられる人は滅多にいないと思う。

でも小西さんは、命にかかわるような依存等であっても、それを当人が必要とするならば否定しない。ただしこの本の主題は放っておくことではないけれど。

「依存症etc.を否定しない」という意味でなく、依存etc.している「人」を否定しない。そこがこの本の魅力だと思った。

もちろん介入や治療をしないでいることは、周囲にとってはむしろ辛い。当人がひたすら破滅に向かうのを手をこまねいて見ている感覚。でもその選択が正しいことはある。私自身が、その難しさも奇跡の結果も体験した。

 もしそれで亡くなってしまう人がいたらどう考えるのか? という問いにも、著者は答えを出している。腑に落ちるまで読み返したい。

「手から離して神に預ける」という言葉を思い出した。アラノン(Al -Anon:アルコール依存症者の家族のための自助グループ)で学んだことだった。小西さんの考えともどこか似ている気がする。

 とにかく私はこの本で「歪な愛のサンプル」のひとりに選ばれている🙄 初読では小さく抵抗した。でももっと咀嚼できたら、堂々と「光栄です!」と言い出すと思う。愛についても、再び考える機会をもらって良かった~