いつか愛せる

DVのその後のことなど

教科書通りにできない不安

 普段は行かない図書館に、一度行くと通い出す。本を返しに行くとまた借りるから。今は趣味や娯楽の本を読む余裕がない。私は本を出す野望があるので、勉強のために借りた。

 気になった箇所をメモしていたら、3つ目で引っかかった。

1.「売れない本は犯罪」でも「売れなくても出す意義がある使命本」

うん、私の本は万人向けではないから売れにくいよね。でも絶対に使命のある本にはする。

2.「今すぐ売れる本」は「今すぐ消える本」

うんうん。バズるっていうやつね。どうせ私にそういう本は書けない。

3.1冊の本の「テーマはひとつだけ」「読者対象はひとつ」「解決する問題はひとつ」

うん? これらをひとつに絞るのが出版のルールだとか。では私の「テーマ」と「読者対象」と「解決する問題」って何? (ニゲラ=クロタネソウの花言葉は「困惑」「未来」「不屈の精神」など)

           

◆「いつか愛せる」を出版したときのテーマ 何十年も前に出した本はどうだっけ。テーマなんて考えていない。強いて言うなら、サブタイトルにした「DV・共依存からの回復」だと思う。とにかく当事者が書くことに意義があると思ったし、さらに離婚せず回復した話は希少なはず。私は自分が読みたくても存在しなかった本を書いた。ど素人の下手な文章だけど、論文に引用されたことで存在価値があることはわかった。

 

◆次の本に何を書くか 私が書くのは「いつか愛せる」の続き。前作は何とか落ち着いてきたところで終わっている。その後の問題をどう乗り越えて何を学んだかを書きたい。掲示板で自助をしてどんな出会いがあったか。被害当事者と加害当事者がweb上で対話出来たことは、「修復的正義」の実践への参考になるかも知れない。そして文庫化されたときに「いずれ書く」と追記した通り、「ゆるすこと」にチャレンジした経験も書きたい。ゆるすのが正しいという意味でなく、事例として。

 

◆さらに書きたいこと 当時はあまり明確にできなかった「人が人を否定するな」「決めつけるな」という思い。繰り返し聞いた「加害者はかわらない」「被害者は⚪︎⚪︎だ(←否定的なことば)」への反発から生まれた私の主張。DVや虐待問題に限らず、人が人のことを決めつけるのは傲慢だと言いたい。

 

◆共依存について 私が回復する際、共依存の概念がとても役に立った。でも今は虐待の言い訳にされる(共依存者が悪いとされる)ことで逆風が続く。役に立つのに、悪用されるから使えないのは惜しいと思う。呼び方は変えても構わない。「普通の人でも共依存に陥ることはある」「役に立つから使えばいい」と、実体験をふまえて書きたい。

 

◆読者対象 メインはDV当事者とその家族や友人、行政や医療現場の支援者と研究者、辺りを想定。性別や年齢は問わない。

 

◆解決する問題 DVで傷ついた状態から回復すること。でも共依存やゆるしも含めると、本人の回復だけでなく関係の回復を含むことになる・・・・・

 

 テーマも読者も回復する問題も、ひとつにはならない😳どうすりゃいいの?

それに、書きたいことを並べてみて感じた。本当に全部書けるの?私。知識も文章力も足りなさ過ぎると自覚しちゃったよ。