いつか愛せる

DVのその後のことなど

書きたいので書きます「DVからの回復」

 2日続けて和やかな話題を書きましたが、その前に「DVからの回復」の話題をもっと本格的に書こうと決めて「人を否定することが嫌い」など数本をUPしました。

 書いてやはりそれらの記事は「私っぽいな」と感じました。もちろん他の記事も、どれも私の意志ですけれど。他の話題を見て読者登録してくださった方には関心ないだろうし、重くて読みにくいかな😓と思っていました。でも以降もポツポツと読者さんが増えたし、これはこれで読んでくださる方があるんだなあ。

 私と同じ経験が無くても理解可能、あるいは興味を持ってくださる場合がある。だって私が書くのは結局は「傷ついた自分を立て直すこと」と「他者との関係を改善すること」だから、不特定多数の方に共通。来てくださった方のブログを拝読して「ああ、この辺が私との共通項なのかな」と感じることもあります。

 

 私が書く目的のひとつは、ご自身に当てはめて参考にしていただくこと。そしてもうひとつは、支援に携わる方に読んでいただくこと。それも単に当事者の言葉という意味でなく、何十年後までこんな風に生きている人間がいると知ってほしいから。

特にDVの支援は「離婚させる」「被害側を逃亡させる」ことが当たり前だったので。それは当事者に提示すべき選択肢のひとつに過ぎない、と伝えたいです。

 赦しを考えることにもこだわりますが、赦すべきなどとは思いません。赦そうとすることを否定されたくないだけです。

 著名かつ優れた精神科医のジュディス·ハーマンが「心的外傷と回復」で、こんな風に書いています。(昔読んだだけで本が手元に無いので「当事者は嘘をつく」から転載)

·性暴力被害者の「赦し」はファンタジー

·普通の人間には到達できないところにある

·当事者は加害者を赦す必要はなく、トラウマが癒やされていくと加害者がまったく興味のない存在になってしまい···

 

 はあ。😕私はDVの中で性暴力被害もうけたから、意見を述べていいですよね。私は現実を生きているし、普通の人間だし、トラウマの癒しと相手への興味は別物でした。

ファンタジーという表現からして、ゆるしを綺麗なものだと思っているなら大間違いです。自分の精神が汚物で どろっっっっっ ドロ になって、血反吐を吐きそうなところを通りました。そういう現実をファンタジーと呼ばれたら、私、怒りますよ。

いえ、今さら怒りませんけど😅。ただ私がしたこと、他にも誰かがしようとしている事を否定しないでいただきたいだけです。

 興味のない方には重い話ですみません。こういう話と介護の経験話は今後も書く予定でございます。