いつか愛せる

DVのその後のことなど

お裾分けのメリット

 昨日は義母へのプレゼントの話を書いたけれど、今日は逆にいただいた物の話。

義両親が元気だったころは、ほぼ毎月、夫と義両親と4人で外食し一緒に買物もした。まだ私たちがDVから完全には抜けきっていないころに、この習慣は始まった。

多分義母は、夫が私に苦労をかけているという思いがあって援助してくれたのかな。すでに不景気で義実家の商売も楽ではなかったはずなのに。

 買物時は地下街で私が好んでいた洋服屋さん(←やや乙女チックなブランド)に寄り「好きな服を選んで」と言ってくれた。私は自分の服を買うことはほとんど無かったので、気を使いながらもうれしかった。

          

 また義母は美味しい物が大好きで、食べ物のお裾分けもよくもらった。毎年恒例だったのは義母が大好きな焼き梅←道場六三郎監修。美味しいからと、いつも我が家の分まで取り寄せてくれた。

あるいは、義父が気前よく大量に買ってくる高級羊羹なども(義父は糖尿病)多くを私にくれた。我が家でも食べきれないので、私は職場に持って行ったり、自分の実家に持って行った。

 逆に、私の実家でとれたゴーヤやいただき物の地方の銘菓などを、義実家にお裾分けすることもあった。この双方からのいただき物の横流し···もとい😅橋渡しは幸せだった。自分では何も持ち出していないのに、私は実家と義実家の両方から喜ばれる。

 それに、互いの両親は私たちの結婚式以来ほぼ会っていない。私と夫の間にDVがあったことから、親同士の関係も微妙だったと言える。だから、双方からのいただきものである美味しいものを「どうぞ」と渡すことで、小さな取り持ちをしている気分だった。私の自己満足だったかも知れないけれど。

 義両親が亡くなり、私の実家も父が要介護になり、人の出入りも減った。橋渡しの機会がなくなって残念。今後は私自身がプレゼントする側になりたいと思う。何しろDVの渦中もその後の義実家の介護中も、私は自分の実家に行く頻度は極端に少なかった。1時間足らずでいける距離だというのに。やっと遅めの親孝行をしたい。

 でも人とのお付き合いがないと、自分が選ぶプレゼントはワンパターンになり勝ち。美味しい物や珍しい物は、人を通して知ることが多い。

やっぱり単純なプレゼントだけでなく横流し···もとい💦お裾分けや橋渡しは、活用されるべき素敵な習慣だと思う。