いつか愛せる

DVのその後のことなど

「ごきげんよう」は駄目なの?

 ネットで見る皇室批判の多くは週刊誌のコピーらしいけれど、どの程度の信憑性があるのかな。芸能記事と同じくらい無責任で信用できない気がした。

先日、K子妃の言葉遣いまで批判があった。「ごきげんよう」という言葉は結婚前から口癖だと報道されていたし、その当時は好ましい書かれ方だった。

時代がかわって使わない方がいい言葉になったの? もしそうなら教えてほしい。(シオンの花言葉ごきげんよう

             

 私は「ごきげんよう」を冗談交じりでしか使わったことがない。でも高校の同級生が普通に使っていたことを最近になって知った。

同級生3人と集まったときのこと。友人Aから、知人の娘さんが私たちの母校受験を考えているという話を聞いた。だから知っていることを色々と教えたという。「普通にいい学校だったよ。”ごきげんよう”は使うよ」と言ったそうで。

 私と友人Bは「え~!😳ごきげんようって言ってたの?!」とびっくり。部活の同期3人のうち、1人が在籍したクラスだけが「ごきげんよう」を使っていた。

1クラス50人程度で11クラスもあった時代。廊下を曲がった向こう側にある教室と文化が違うこともあり得た。(毎年クラス替えはあったけど)

 解説すると、私の母校は私のような普通のサラリーマン諸氏の子どもと、本物のお嬢様が混在しているような、微妙なお嬢さん学校。

住所録を見ると「大蔵省官舎」に住んでいる子もいたし、友人宅に遊びに行ったら南青山の超豪華マンションで緊張したこともある。一方、私と同じような家の子も多かったので、別に悩みはしなかった。今のようにクラス内にカーストがある話も聞いたことはない。幸い私が鈍感だったからかな。

 で、「ごきげんよう」は学習院っぽいから使うべきではないとは、どういうこと? 他校出身の友人Aも使っていたくらいなので、専門用語ではない。何だかもう、あら捜しにしか聞こえない。

何年か前まではM子妃(現皇后)が常に叩かれていたのに、今は逆転している。ふたりを批判しまくっているのがまったくの別人(別媒体)なら、まだ納得できる。何かポリシーがあって一方を応援し他方を批判することを貫くのね、と思えないこともない。

でも同じ人(同媒体)が常に誰かを叩いているなら、無節操なことはやめようよ😔と思う。

 ちなみに私は、どちらにも(上皇后さまも含めて)ずっと好感を持っている。元々美貌も教養もあり、普通ではない苦労をするとわかっているのに、よくぞ嫁がれた。勇気と覚悟とその後の努力をたたえたい。

批判ばかりする人(媒体)は、その立場になったら完璧にやれる自信があるのかなあ?