いつか愛せる

DVのその後のことなど

強力な自我にも影響はするらしい

 夫からとても意外な話を聞けた。夫が私から「影響された」という話。え! 私に影響を受けたの? あなたが???

一緒に暮らせば影響をうけたり与えたりするのが、普通は当たり前。でもずっと我が家は別だと思っていた。(月下美人の花言葉は「強い意志」)

              

◆夫は自我が巨大

 結婚する前。結婚に向けて盛り上がっていたころかな。彼が紙に図を描いた。テーブル上の大きな鏡餅のようなものに私の名前が書いてある。その上に乗っている小さな鏡餅が、両親とか友人とか仕事とか猫、その他大勢。それはその時の夫の中での大きさを表していたらしい。私が一番大きいことは、一応は喜ばしい。

でも私は気付いていた。「この鏡餅の下に巨大な俺自身があるでしょ」と。夫も苦笑して否定しなかった。そこまでわかっていてなぜ結婚した? と言われそうだけど、いいよね過去は。とにかく夫の自我は巨大で強力。

 

◆夫が私からうけた影響

 そんな夫が私に影響されたというので「一体どんな影響?」と聞くと、何十年も昔に遡る。夫は「俺は自分が好きなことしかやらない」と言っていた。それは私も覚えているし彼は現実に貫いた。

私は夫に言ったらしい。「やりたくない仕事でも、その中で楽しみを見つけられる」と。記憶はないけど確かに私はそんな風に考え色々な仕事をした。そのとき夫は「そんな考え方があるのか!」と思ったという。へえ、そこ驚くところなんだ?

だけどまったく驚きを表現してくれなかったはず。多分、当時は私の考えを否定したんだろうな。早く言ってよ。もう結婚31年だよ。でも巨大な俺自身を動かすには、そのくらい時間が必要だったのかも。

 

◆私が夫からうけた影響

 一方、私はDVから回復する過程で夫からいくつか影響をうけた。暴力を受けている間ではなく、回復に向かっていた時期の話。

私の自我はむしろ薄かったので夫を参考にした。私は世間という形のないものを気にしたり、同調圧力が苦手だった。夫はそういう生きにくさを持たない。それはDV渦中には「人に配慮しない無神経さ」に見えたけれど、実は欠点ではなく個性だと考えるようになった。

 好きなことしかしないなら、誰かに文句を言われようと貧乏になろうとその責任は引き受ける必要がある。(夫がそんなことを意識してきたかは知らないけれど)

私が真似したのは小さなこと。例えば善意で誰かをちょっと助けたとき、相手が感謝してくれなくても不満を持たない。自分がやりたくてやったことだから。不満を持ってしまいそうなら初めからやらない。そうすると、選択の仕方がちょっと変わる気がした。自分が決めたことは、結果が不本意でも後悔したり誰かのせいにはするまいと思った。

 久しくこういうこと忘れていたなあ。せっかく思い出したので再度心に刻む。