いつか愛せる

DVのその後のことなど

「歪な愛の倫理」の感想その②

 読書感想の続きです。その①はこちらです。↓ 文体自体も変えてしまっていますね。一貫性がなくてすみません。

◆これまでの専門書との違い 「歪な愛の倫理」は「絶対に離れる方がいいのに暴力関係から離れない人」たちについて、第三者に理解と対応を考えさせる本です。これまでの専門家は「洗脳で無力化されている」「経済的な不安」「周囲の圧力で別れられない」等の解釈をしていました。それも当たっている部分は多いのですが、そうでない部分を説明してくれたのがこの本です。より深く当事者の内面にふれています。それは当人を弱者としてでなく対等に見ているからではないかと思え、私はそこを好ましく感じます。

◆著者への共感と感謝 私が本を出したころは「DV=離婚(被害側を逃亡させる)」以外に支援が存在せず、今も大きくは変わらないと思います。別れる以外の実例として私を利用していただき、うれしく思いました。

また研究者である小西さんが、ひたすら当人の意志を尊重されていることが新鮮でした。傍目にはどう映ろうと、離れるにも離れないにも個々の理由があります。そしてその理由が支援者も含む部外者にすべてはわかるはずがない。これまでの専門家が重要視していなかったその部分に、目を向けた本と言えるかも知れません。

◆私の発見 自死された方の人生をも尊重する考え方は今までにない視点で、何度も読み返したいと思いました。

また、支援者が当事者を「回復させるべき弱者」と捉えがちなことに、私は以前から少し反発心を持っていました。でも私も似たようなものだったのですね。以前は私自身が「傷ついたら回復すべき」だと考えていて、それは自分が楽になれたからです。他者から押し付けられるのは御免だけれど、自分の意思で回復に取り組むのは正解だと思っていました。でも回復「すべき」という思いが他者に向かうなら、それは無理解な支援者と同じ押し付けですね。私が元当事者であっても例外ではないと気付けました。      

◆愛について 二読してもまだ小さな違和感がありました。一般的に「共依存は偽りの愛」と評されることがこの本にも書かれています。愛の解釈は個々人によるのでこれは私の場合ですが。自著のタイトルを「いつか愛せるーDV・共依存からの回復」としたほどで、私は共依存を「愛」とは考えていません。いつか本物の愛を持ちたいという意味のタイトルです。小西さんは、これらを総称して「歪つな愛」と名付けたようです。

私は共依存と愛を別ものと考えますが、この本を読んで、共依存と愛が同時に存在することもあるのかも知れないと考え直したところです。特にトルーディ事件(自閉症の息子の暴力によって母親が亡くなったこと)など。←この件はネットに論文もありました。

https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/665/665PDF/konishi.pdf

(テイカカズラの花言葉は「依存」「優雅」「栄誉」など)

           

◆回復に関する違和感 もうひとつの違和感は「私は共依存を自分なりに理解して克服したつもりだけど、別れないでいると今も共依存だと思われるのかな?」ということでした。大きな傷を負った人間が、傷を癒して共依存も克服して生きる・・・という状況は想定されないのかな。

ただ、私が回復したかどうかは他者が判断することではないし、「歪な愛の倫理」の趣旨からもずれます。小西さんが「いつか愛せる」から引用してくださったのは「離れることなく解決の道を探ることを求める当事者」の声としてのみ。だから、私の回復をどう捉えられているかを考えるのはやめました。共依存の回復については、小西さんはまた別の本に書いてくださるのではと期待します。

 私自身の回復の考え方を書くつもりで書き始めたのですが、すでに一杯一杯💦になったので続きはまた今度にします。本の感想はまだまだありますが、内容が深くて盛りだくさんなだけに、いつまとまるのか見当もつきません。