いつか愛せる

DVのその後のことなど

母があった詐欺の話③「手口」

 恐らく詐欺師の常套手段だったと思えるエピソード、あるいは「あの時もっと気をつけていれば」と思うエピソードを書きます。

◆行動の不自然さ 女性Xが実家に頻繁に出入りすることに馴染んだころ、母から聞きました。彼女が家の2階に上がり込んだことがあると言います。実家は2階建てで、通常訪問者を通すのは1階のリビングダイニングのみです。そこには勝手口があり、友人たちは大抵「ここは入りやすいわ」と勝手口から顔を出してくれます。

他の部屋はせいぜい隣の仏壇のある和室(亡くなった祖父の部屋だった)くらいで、古い友人でも2階に上がったことはないと思います。

            

(ハナズオウ=花蘇芳の花言葉は「裏切り」「不信仰」「疑惑」など)

◆入り込む手口 彼女は「荷物を預かって」と言いながら勝手に2階に上がって来たそうです。母はびっくり。2階の和室には家と土地の権利書や預金通帳や印鑑など、重要なものがしまってあります。彼女がキョロキョロ観察していることを嫌悪したから、母も私に話したのだと思います。でもそこで「2階には入らないで」と釘を刺すことはしなかったそうです。悪意からだと思いたくなかったのか、あるいはそういう(私たちの常識とはずれた)人だと考えたからでしょうか。

◆リスクを考える 私は母の話で「危険かも知れない」と思いました。彼女がお金に困っていないと聞いたことは、疑ってはいませんでした。でもいつか彼女が貧乏になるかも知れないし、彼女から別の人に情報が渡ってそちらから狙われるかも知れない。そういう危険性を母に言いました。「もう2階には上げないで」と言うと、母も「もちろんそうするよ」と言い、私はほとんどその件を忘れていました。甘かったですね。私や弟がマメに目を光らせていれば、牽制にはなったと思います。でも私は2ヶ月に一度くらいの頻度でしか実家に行けていませんでした。

◆行く頻度をふやした時期 私が実家に行く頻度を少し増やしたのは、亡くなった叔母の財産整理を手伝うときでした。何年も会っていない父の姉妹が複数健在です。彼らに叔母の資産を分配する必要があるし、それを急かしてくる人もいました。もらう権利の無い母(権利があるのは父だけ)がひとりで動いたため、母が横取りを疑われる可能性があります。あんなに苦労してそんなことになってはたまりません。私は絶対に疑われない資料を作成しようと頑張りました。叔母のところに通った日付や回数と用件とかかった費用などをまとめました。一目で母の苦労の一端がわかる資料になりました。

◆牽制と情報提供 私と弟が母に聞き取りしながらその資料を作っている日も、女性Xは実家に来ていました。私は少しだけ牽制する気持ちがありました。この家は高齢者ふたりだけではないし、お金に対してルーズでもないと。でもそれは同時に彼女への情報提供にもなってしまったでしょう。父の取り分をチェックされていたと思います。(偶然だとは思いますが、後日彼女に持ち逃げされたのはちょうどそのくらいの金額でした)

私は牽制していただけで疑ってはいませんでしたから、隙が多かったはずです。それに彼女が入らなくなったブランド服やバッグを私にくれたことは、私のことも取り込むテクニックだったかも知れません。