いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母の小さなお葬式

 介護の話が久しぶりになってしまったけれど、小さなお葬式を行ったの日のこと。前回の話はこちら↓

 夫が何とか動けそうで助かったけれど、お腹の調子が心配なので食べずに行くという。私は朝のうちに業者さんに支払う費用を出金に行った。義母の口座にはまだ高額医療費の戻りがあるはずだから、解約はしない。義父の口座はもう余計な口座振替(N⚪︎Kなど)が落とされないよう、端数だけ残した。

ついでに義実家の跡地に寄った。もう家は跡形もなく更地になっている。まだ売地の看板は立っていない。義母の霊は、この土地に立ち寄ったりしたのかな?

 それから近所の花屋さんへ行った。お花は持参する方が安いだろうし、好きな花を選べると思ったから。小さな花屋さんで種類は少なかったけれど、ピンクと黄色のカーネーション、赤のミニ薔薇、白のスターチスなどを買った。

 出席者は夫と私の他は、私の母と、夫の叔母の4名のみ。他には知らせなくていいと夫は言う。夫の叔母は義母が入院中もお見舞いに来てくれたし、義母と手紙のやり取りもしていたので声をかけた。義父には教えない方がいいだろうということになった。

 早めに着いたので、ゆっくりお別れできた。納棺のときと同じく顔色は良かったけれど、左目と口が少し開いていた。そういうこともあるのかな。まさか亡くなって棺に入った後まで、左側を気にしたのかな。私たちを待って亡くなったから。病院の出入り口が左側にあったから。

叔母のことばで救われた気がした。「動かなくても周りのことばが聞こえることはあるらしい」と。だから義母には、駆けつけた夫と私の声が聞こえていたかも知れない。

              

 業者さんがサービスで、余った切り花を持ってきてくれた。私が持って行ったお花は花束のまま置かせてもらったけれど、切り花をもらったお陰で義母の周りをお花でいっぱいに出来た。ちょっと嬉しかった。

 夫が霊柩車に乗り、私たちは業者さんの車で火葬場へ。お焼香のとき、夫は小声で祈っていた。私も祈りつつ、義母に呼びかけた。お母さんありがとう、さようなら、必ず天に行ってください。

 1時間半くらい待ったろうか。骨になった義母と対面した。頭は白くて、体の方は赤みのある骨になっていた。顎の骨の形は義母の輪郭そのものだった。義母は小ぶりな骨壷に収まり、夫が持ってタクシーに乗った。途中の駅で夫の叔母や私の母を降ろし、私たちが家についたのは5時ごろだった。

そのころ、夫はもうフラフラだった。私が先に階段を上がって荷物を置き、急いで降りてきて骨壷を預かる。無事に帰宅できてよかった。

 義母の骨壷の暫定的な置き場を決めた。天袋の襖を開けて、義母と愛猫ノンちゃんを並べた。ここなら部屋を見渡せる。義母はここを見ることが出来なかったから。私たちが引っ越してから遊びに来たがっていたのに、残念ながら来られなかったから。