いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母が亡くなった日(その②)

 まだ義母の魂は近くにいるのではないかと思い、私も夫も霊安室で義母の遺体に何度も話しかけた。貴重な「お別れの時間」だったと思う。

葬儀業者が迎えに来て病院を出れば、もうここに戻ることはない。だからすぐに義母の荷物は全部引き払う。ついさっきまで義母は生きていたのに。でもそれは仕方ないと頭では理解できるから、淡々と従った。義母が亡くなった日(その①)はこちら↓ 

  この病院への支払いは毎月振り込みだったので、その場でお金は気にしないですんだ。そもそもまだ精算金額の計算が出来ていない。

一方、病院からもらう重要なものは死亡診断書。無いとお葬式や火葬も出来ない。私はこの機会に初めて見た。義母の死因は老衰と書かれていた。

              

 業者が到着すると、静かに義母を棺に移した。そのまま車に乗せて私たちも同乗し、先方に到着。義母の棺には、病院から引き取ってきた愛猫ノンちゃんの写真と、ノンちゃんお気に入りのゾウさんのぬいぐるみを入れさせてもらった。

 ここで担当が変わって事務的な打ち合わせをする。役所への死亡届は業者さんがやってくれるので、死亡診断書のコピーをとって渡す。

その日は11月18日。そろそろ寒くなって亡くなる人が多いため、葬儀は早くても3日後の11月21日とのこと。もし真冬だともっと伸びる可能性があるらしい。

 人によってはそれまで遺体を自宅に連れ帰ると思うけれど、すでに実家は売却済みだし、私たちのいるマンションにはそんなスペースがない。そのまま預かってもらった。料金は業者によって「ドライアイス料」だったり「保管料」だったり。

(義母の時は11月で1日1万円、義父の時は5月で1万5千円。この違いは季節によってドライアイスの使用量が違うからだろうか)

            

 私たちは病院から業者の車で移動したため、自分がいる場所がどこかもよくわかっていない。タクシーを呼んで帰宅した。家についたのはまだお昼前だった。

昼食を食べたり、買い出しに行ったり。あとはまったく普通の休日だった。今朝まで義母は生きていた。何だか午前中のことが夢のようだった。

 夫はすでに少し悔やんでいた。風呂に入らずすぐに行けばよかったと。病室についたとき、義母の目は少し左を向いていた。私はその場では気づかなかったけれど、かすかに入り口の方を向いた状態で亡くなった。それは夫と私を待っていたからか。

 この件で夫がちょっとメンタルをやられたのは、もう少し後になってから。この日はあえて普通に過ごした。

3日後にはお葬式で夫に動いてもらわなくてはならず、体調を整える必要がある。私もまた休みをとらなくてはならない。義父に伝えるかどうかも考えなくては。

心身を含めた事務的な忙しさで気がまぎれるということは、確かにあるなと思った。