2018年9月13日に土壇場でキャンセルした翌日、義母は何とか転院できた。その日も夫の具合は良くはなかったけれど、前日よりはマシで「よろしく」と送り出してくれた。
前日の話はこちら ↓
自分も寝不足だし夫が心配だったけれど、私は今度こそ行かなくてはと思った。午前中に買い出しを済ませ、早めにお昼を食べてから病院へ。
義母には転院延期の理由は伝えられていなかった。でも夫か私の「どっちかの具合が悪いんだと思った」そうで、やはり心配をかけてしまった。
前の週は具合が良くジュースを飲むことが出来たのに↓ この日は元気がなく発熱していた。
退院のための支払いを済ませ、少し時間があったので義母と話せた。夫と私が話していた内容を義母に確認した。
「誤嚥性肺炎の危険があっても、食べたいですか?」
義母はすでに何ヶ月も点滴だけで、腸閉塞などのため食事はいっさい取らせてもらえていない。美味しいものを食べることが大好きな人なのに。
すると「自分で寿司の出前をとろうかと思っていた」と言った。あっぱれ! 寝たきりと言える状態なのにさすが義母だ。これは本人の意思を是非尊重したい。
この時はもう車椅子も無理で、ストレッチャーのまま介護タクシーに乗った。介護タクシーの予約は病院にお願いしていた。こちらでスケジュール調整する暇もなかったから。でも本当は馴染みのYさんにお願いしたかった。
Yさんは、かつて車椅子の脱輪で義父が入院する原因となってしまった人。でも義父はちょっとした傷だけで済んだし、結果として保険を使って義母と同じ病院に入れた。むしろ私たちは助かったと言える。その後もYさんは誠実に ↓ 地腹を切ってまで助けになってくれた。
私は自分に余裕がなさすぎて、まともなお礼を言えていなかった。それで何となくその日の移動中、介護タクシーの運転手さんにYさんとの出来事を話した。「とても良くしてもらいました」と言うと、「その人の名前はわかりますか?」
私がYさんの名前を何とか思い出して伝えると、同業者はつながりがあるらしく知っていると言う。「会ったら伝えておきます」
ああ良かった。もう会えないかもしれないけれど、Yさんの心の重荷が楽になってくれるかも知れない。
そうして介護タクシーは、義母の最後の場所になる病院についた。治療を目的とはしない病院。何となく地方にある昔ながらの洋風旅館?のような佇まい。
駐車場を兼ねた庭には大きな桜の樹があり、春はみごとに違いない。でも残念ながら桜が咲くのを見る機会は来なかった。