義父の介護ベッドを入れた翌土曜日からの話。私自身の体調も良くはないけれど、義実家へは行った。
(前回の話はこちら)義父の介護ベッド納入↓
https://manaasami.hatenablog.com/entry/2023/02/20/232140
義父はぐっすり眠っていたので起こさず。このころからベッドで寝ている時間が妙に増えた。
薬を1週間分のお薬カレンダーにセットしようとしたが見つからない。ヘルパーさんやケアマネさんに確認の電話をする。次の月曜日に訪問の医師が来て処方してくれるとわかり一安心。
半端に手を引くと、こうして関わろうとしたときに確認事項がふえてしまう。全部やるか全部手を引くかする方がいいのはわかるが、どちらも出来なかった。
電話の返事を待つ間に2階の片付けに着手。2時間かかってゴミ袋が6個分。それでもわずかに足の踏み場ができただけ。大事なものをゴミに入れていないかも不安になる。
若いころの夫の文字を見つけて捨てるのをためらう。それは義母の思い出をかわりに捨てていく作業で、少しつらい。まだもう少し待とうかと逡巡した(義母がメモしていた料理のレシピノートを1冊だけは保存した。今も我が家にある)
義父は目を覚さないので手を置いて回復を祈り、夕方に帰宅した。毎日2時間程度はヘルパーさんが入ってくれる。私は翌日は義母のお見舞いに行くことにした。
翌日曜日、入院以来2週間ぶりで義母に会う。初めは横になったままで、義父の話は聞かれてからにしようと思って話さず。やがて看護師さんを呼んで車椅子に座らせてもらった。
チョコとお煎餅のおやつを持って行ったが、わずかにしか食べられない。コルセットはつけていると苦しいからと外していた。まだ退院などできそうにない。
義父のことを聞かれたので経緯を話すと「困ったわねぇ」と考え込んでいたが、やがて自分が退院せねばと思ったらしい。目に力が出てきた。私は義母のそんなところが好きだ。
「夫と電話で話しますか?」と誘い、車椅子を押してラウンジへ行き、電話をかけ話してもらった。当時の夫は原因不明でしばしば動けなくなる状態の他に、背中の痒みで眠れずにいた。
その話を聞くと、義母は「自分が痒みでよく効いた薬を持って行って」と渡してくれた。病院で出された薬の使い回しはまずいが、調べてみると白色ワセリンだったので大丈夫だろう。義母の母心が通じるといいなと思った。
義母は私の体力も気遣って帰りを促してくれた。(いつになるかわからないのに)退院時の介護タクシー代を気にしているので、6千円置いてきた。金庫が無くて心配だけれど本人が大丈夫だと言う。義母に気力が戻ってよかった。どうなるかわからないけれど、薄日が指すような気持ちになった。