いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父の運命が動いた日

 次の週も変わらず「疲れました。神様助けてください」と呟きながら過ごしていた。運命が動いたのはある月曜日。朝から大阪の一部で震度6になる地震があった日だ。義父の通院日だったが、仕事中は忙しくて忘れていた。

 知らない番号から電話があると出たくはないが、何があるかわからない。念のため出るとヘルパーさんからの緊急連絡だった。

介護タクシーで義父が通院した帰りに、3段ある玄関の段差から車椅子が脱輪して転んでしまった。右太ももを痛がるので救急車を呼んだという。すぐ夫にも電話する。とっさに「義母が入院している病院に運ばれますように!」と祈った。

 その後、何度か連絡があり義母と同じ病院に行けたこと(義父も訪問看護をうけていたおかげか)。レントゲンで骨には異常無いことがわかる。頭も打ったのでCTも撮るらしい。

 

 急いで帰りたいのに電車は遅れていた。私は泣きっ面に蜂の気分で帰宅。小雨が降っていたのでカッパを着て家を出る直前に電話あり。その日義父のお世話をしてくれた介護タクシー運転手のYさんからだった。ひどく恐縮していて、家を出るところだというと迎えに来てくれた。

義実家に寄り義父の着替えや保険証などをまとめ、Yさんと一緒に病院についたのは夜の8時過ぎ。そこにはYさんが契約している保険会社の人がすでに居た。

 義父にお弁当を持って行ったが食べず、あれこれ入院の手続きをする。その後に保険会社の人とお金の話。治療費は保険から出るので金額を知りたいらしいがまだわからない。

病院に払う前金の10万円をYさんが自腹で「お持ちしましょうか?」と言うが、あちらも大変だろうと思い遠慮した。

 翌日医師と話せることになった(また仕事は早退する羽目になる)。16時の予約で、その際に保険会社の人もまた来るとのこと。私はそのまま義母のいる病室へ行き簡単に報告した。義父が同じフロアにいるので「明日、顔を見せてあげてください」と。

 

 介護タクシーのYさんが帰りも送ってくれると言うので、まず義実家に寄る。片付け物をして今度は自宅に送ってくれた。その際に何度も不注意について謝罪された

介護タクシーの運転手さんは車の運転だけでなく、車椅子の移動などもしてくれる。その日も、Yさんが車椅子を持ち上げて義父を玄関に運ぶ最中に事故が起きた。多分、階段の幅より車椅子の幅の方が広かったのだと思う。(写真はサンプルなので、実際には一番上段の幅がもう少し狭かった)

             

 心からの謝罪をうけて私は怒る気はしない。あちらも大変だなと思う。事情を聞いた夫も怒ってはいなかった。

ただその時点での私は、Yさんを気遣うことばをかける余裕が無かった。あまりにも疲れていたし、状況が混乱していたし、起きたことに対処するのが精一杯だった。

それに、義父が義母と同じ病院に入ることが出来てよかったとぼんやり思っていた。