いつか愛せる

DVのその後のことなど

マスク考察

 今年は花粉が多いと聞くたびに憂鬱だ。鼻の手術は6月までお預けになったので、スギにもヒノキにも間に合わない。クシャミで腹筋運動しているという前向きな思いを、いつまで私は維持できるだろう。ゴミ袋がお鼻紙でいっぱいなのも恥ずかしいし、1日に何度鼻の下にメンタムを塗れば気が済むのか。すれて痛い。

 来週からはマスクの着用が「個人の判断」となるとか。今だって強制はされていないはずなのに不思議な話。もちろん、私は来週になってもマスクを外せない。コロナ前から1年の半分は使っていた身だもん。それに、慣れたらすごく便利だと知ってしまった。

 何しろ化粧の必要がない。ファンデーションを使うのは出社する時だけ。(テレワークで会議のある日はあえてカーテンを開けて逆光で顔をぼかしたり)

ティッシュに使う支出の増加を化粧品の減少で補えたかも知れない。ほくろにうぶ毛が生えていてもマスクで見えないし・・・洗面所でうがいする時に気づいてびっくりするけど。

 

 私は花粉対応でマスクを使い続ける。でも世間はどうなるだろう。悩む人が多そうな気がする。自分自身も含め、日本は個人で判断するのが苦手な人が多い。私は生まれ育ったこの国が好きだけど、困った点だと思う。自分で判断するより周りの目を気にする点。

今マスクを外して外を歩いたり電車に乗るのは、少し勇気がいる。文句を言う人がいるか、いなくても避難めいた目で見られる。私もこれが苦手。体のリスクと人の目と、どちらを理由に判断する人が多いだろう。

 

 私の予定では、マスクを外すのは6月の鼻の手術の後。直後はダメ(鼻の中に1週間はガーゼが入りっぱなしらしい)だから、多分7月からかな。暑くなる時期にマスクを外せるのはありがたい。夏はマスクの中が汗でむれて辛かったのに、会社の決まりで外せなかった。今回の政府の発表で、職場でも強制が解かれるだろう。

 その時には、もうウイルス対策のためにマスクをするつもりは無い。もともとマスクは飛沫しか防げない。花粉と違ってウイルスへのマスクの効果は薄い。手洗いなどの対策は続けるし、自分のために風邪をひかないよう気を付けるだけ。

 ネットや本で死亡者数や陽性者数のカウントの謎を知ってしまい、ますます馬鹿馬鹿しいと思うことが増えた。どこの誰だか知らない権力者に踊らされるのは嫌。ワク○ンの悪影響なんて怖くてもう調べるのも嫌になった。報道しないマスコミに腹が立つ。

                

 ところでこの3年の間にバラエティに富んだマスクを持つことになった。不織布はもちろん、ウレタンもガーゼも布も。N95と呼ばれる高級品もたまたま持っている。呼吸困難になるから使わないけど。

母には手作りのカラフルな布マスクをたくさんもらった。何と私が家庭科の授業で縫った浴衣をほどいて作ったものもある。

私は小花柄がお気に入りで、服装に合わせられるくらい色々ある。でもさすがに原色にお星様柄のマスクは、いつどこで使えばいいのだろう?