いつか愛せる

DVのその後のことなど

突発的な通院

 介護あるあるのひとつだと思う、突発的に具合が悪くなること。ある日曜日の夜、義母から義父の具合が悪いと電話があった。まだコロナ過になる前で、例年通りそろそろ風邪が流行ってきた時期だった。

「39度以上も熱があるの」という。

 

 その時期も夫は原因不明の不具合で外出できなかったから、私が行くしかない。なぜかこういう事態は日曜日が多いなあと思いながら、その日の睡眠不足を覚悟した。

 義実家まで自転車で行ったかタクシーを使ったか思い出せないが、とにかく義父をタクシーに乗せる。すっかり常連になったタクシー会社のオペレーターには名前を覚えられていた。

義父の体にふれてもそこまでの高熱があるようには思えなかったが、ぼんやりとなった義父と緊急外来へ。

 義母には「玄関の鍵はしめて休んでいてくださいね」と伝える。私は合鍵をもっているし、義母とノンちゃんだけの留守番は不安だろう。義母は夜ひとりになったことがほとんどなく、ドロボーや強盗を人一倍怖がる人だ。

そして、義父は元々は頼もしい人だった。剣道や居合切りを嗜んでいたから、もし強盗が来れば竹刀か日本刀を持ち出し対戦してくれたろう。こんな状態でも、きっと義父の存在には頼っていたと思う。

 

 義父に「どこが一番つらいですか?」と聞くと「のどが痛い」という。その通り病院に伝え、熱を測ると37度台だった。移動中に熱が下がったのか、家で測った際に義母が見間違えたのかはわからない。

「点滴2種類で2時間くらいかかるけれどどうしますか」と聞かれた。すでに夜の10時を過ぎていたが、もちろん「お願いします」

 緊急外来の広いスペースで義父が点滴している間、私は義父の前に座って待った。時々夜勤の看護師さんが通り過ぎるだけで静かだ。心配した夫から電話が入り、義父の無事と私の体力のために祈ってくれているという。

熱は37度台だし、点滴して帰るから心配ないと伝える。病院内で電話しているのも気が引けた。夫からその旨を義母に連絡してくれた。

私は相当疲れていたはずだが、夫の祈りのおかげか意外に元気でいられた。

 

 点滴が終わると、できれば翌日、無理でも2~3日中に再診に来るよう言われた。大きい病院なので、朝から付き添っても薬をもらって会計するのは午後になるだろう。会社はまた休むしかない。こういう機会が多いので、働きながらの介護はかなり厳しい。

 またタクシーを呼び、義実家についた時には夜中の1時をまわっていた。やはり義母は起きて鍵もかけずに待っていた。義父はすぐに布団に入る。義母に飲み薬の説明をし、もう一度私が通院に付き添うことを伝えて、私も帰宅できた。

 

 ところで。

義父が愛用した竹刀や日本刀(真剣)は、後に義実家を引き払った時にほとんど手放したけれど、実は日本刀を1本だけ残してある。

所持するための許可証を見つけられなかったのと、義父の存命中は残しておいてあげたかったから。施設に入居したときも、一度は見せに持って行こうと思っていた。(ところがああいう場所は、当然ながら刀など持ち込み禁止)

 手入れの仕方がわからなくて申し訳ないけれど、その真剣は今は我が家を守って(?)くれている。